探究科 座談会その3-後編-

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SPECIAL

2021.11.02UP

大事なのは、鎧を脱がすよりも、そもそも纏わせない教育。

MEMBER

池谷陽平探究ドライバー

髙木草太探究デザイナー

眞鍋綾探究アーティスト

上月龍太郎探究クリエイター

佐藤佑平探究ストラテジスト

牛込紘太探究キュレーター

「個性がない人」などいない。
見えにくくしているだけ説。

日本の学生の多くが、無意識のうちに“鎧”を着せられて、自分の思いや感情を抑え込んだり、気づかないうちに自分が描いていた将来とは違う場所に立たされていたりする憂うべき状況が見られる中で、追手門の探究科の取り組みがどのように貢献できるのか。実際にプログラムをつくり、授業を行っている6人の先生が、自身の体験を振り返りながら、語っていきます。

収録日:2021年6月10日

Theme1

数値化によって失われる本質。
そうではない体験で見つける個性。

(前編はこちら


池谷

前編では上月先生と牛込先生に、自身の個性に気がついたきっかけを教えてもらいました。続いて佐藤先生は、そういうターニングポイントってあった?


佐藤

まず前提として僕は人をあまり嫌いにならないんです。正確には“嫌いになれない”というか。100回ひどい仕打ちを受けても、101回目にいいことをされたら「この人、いい人やな」って思ってしまうから。


上月

これはいいことを聞いたぞ(笑)


佐藤

上月先生、変なことはやめてくださいね(笑)。その背景にあるのは、自分自身を嫌っていたということですね。自分で自分をかなり強く嫌っていたので、それを他人が超えてくることはありませんでした。


牛込

つまり自分に自信が持てない学生時代だったのかな。


佐藤

そうですね。たとえば「佐藤さんはめっちゃいい人ですね」って言われても「そんなわけがない」みたいな(笑)。自分に対するポジティブな意見は、いっさい信用できなかったんですよね。


牛込

僕もそれは分かるな〜。「え? 僕の何がいいの??」って思っちゃうよね。


佐藤

はい。そんな中で、大学院を卒業する前に論文を提出するんですけど、その時にはじめて褒められて嬉しいって感じたんです。

自分自身に対する自信を一切もつことができずに学生時代を過ごしたと話す『探究ストラテジスト』の佐藤先生。


上月

経験がないからよく分からないけど、論文を褒められるって、つまりどういう状況?


佐藤

2年間にわたって自分が研究してきた内容をまとめた論文に対して、その道の権威と呼ばれる人たちが評価をしてくれたってことですね。そこに主観は一切なくて、成果物だけを客観的に評価して、正当な判断がくだされます。はじめて自分の能力を認めてもらえた気がしました。


池谷

つまり自分の成果物を正しく評価されたことによって、それをつくり出した自分を受け入れられるようになったってことか。


佐藤

そうですね。はじめて自分のことを「いいね」って思えた瞬間でした。そこから変わっていったと思います。


上月

でも成果物に対して客観的な評価を受けるという点では、学生時代のテストもそうじゃなかったの?


佐藤

そうですけど、やはりそこに注いできた熱量の差があったんだと思います。大学院の論文は、自分の集大成だっていう思いがあったから。


池谷

たしかに自分自身が「突き詰めたい」と思って大学院まで行った上でアウトプットしたものと、学生時代のテストとは次元が違うかもね。


上月

テストは生徒が主体的に選んで受けるわけでもないですしね。しかも数字で結果が出てしまうから、それを追うことが目的になってしまって、またそこに歪みが生まれてくる。

『探究クリエイター』上月先生は、「数字を追うこと」が目的となる学校のテストにある種の異を唱えます。


髙木

「なぜ学ぶのか」という本質からは離れていきますよね。


牛込

そう思います。だから数値化せずに曖昧な状態で残すことにも意味があるはずだし、その中で自分の個性を見つける体験ができるかもしれないですよね。

曖昧な状態で残すことで、
自分の個性を見つける
体験ができるかもしれない。

Theme2

偏差値という“鎧”を脱いだ瞬間に
取り戻した本当の自分。


眞鍋

私にもターニングポイントはありました。というのも、私は大学1年生ころまで、偏差値至上主義だったんです。


上月

え? 眞鍋先生が??


髙木

偏差値で人を判断していたってこと?


眞鍋

そうですね。今は絶対にそんなことは思いませんが、当時は「偏差値=人の価値」みたいな。

過去を正直に告白してくれた『探究アーティスト』の眞鍋先生。


髙木

めっちゃ意外な告白やな……。


眞鍋

特に高校3年生のときは、すごくトゲトゲしかったし、人に対しても失礼な態度を取っていたと思います。ずっと友達と一緒にお昼ごはんを食べていたのに、その時間すら無駄だと感じて一人で昼食をとるようになっていました。


池谷

そうとう振り切ってるな(笑)


髙木

今の眞鍋先生からは想像もできないね。


眞鍋

そうなんです。偏差値を上げることだけを優先した結果、「自分はこう思う」とか「自分はこれがやりたい」といった考えは押し殺すしかなかったんじゃないかな。


池谷

そこから何が眞鍋先生を変えたの?


眞鍋

きっかけは一つではなくて、いくつかの体験を経て、徐々に変化していきました。まずは大学のサークル活動で、子どもたちを連れてキャンプに行った時。そこでは、これまで学んできた知識は何一つ役に立たなかったんです。チームワークを発揮し活躍する個性豊かな仲間たちを見て「こんなに勉強してきたのに、今の自分には何もできない」と感じていました。


池谷

なるほど。真面目に勉強もしていたし、ちゃんとした大学にも入ったけれど、その過程で得られるものだけでは解決できないことが世の中にはたくさんあるからね。


眞鍋

はい。それまで誰かがつくった評価基準を頼りに動いていたから、まったくアドリブが利かない人間になってしまっていたんですよね。そんな状態に陥った私を助けてくれたのは、クリエイティビティに溢れる人たちでした。最大のインパクトは、アルバイトの面接での出会いです。いきなり「今からお経をあげるから、よければ一緒に」と言われたんですよ。


上月

なかなか個性的な人が出てきたな(笑)


眞鍋

すごく変わっているでしょ? でも私はたまたま仏教系の高校に通っていたから、一緒にお経をあげることができたんですよ(笑)。その時まで偏差値とはまったくつながらない、意味のないワークだと思っていた般若心経が、人とのつながりをくれたわけです。自分が無駄だと思っていたことも、いろんなところで自分を助けてくれる可能性があることに気がつきましたね。


牛込

眞鍋先生の話を聞いていると、“変わった”というよりは、“無理やり着せられていた鎧を一つひとつ脱いでいった”という印象を受けます。偏差値で武装しないといけなかった理由が、学校教育にあったのか、ご両親にあったのか、はたまた自分自身にあったのかは分からないけれどね。その鎧が重たくなって、自分ではどうしようもないって時に、お経の人との出会いやサークルでの体験を通して身軽になれた。その結果、ようやく自分自身のやりたいこととか、思いとかを出せるようになったんじゃないかな。

客観的な分析も得意な『探究キュレーター』の牛込先生。


眞鍋

はい。まさにそんな感じでしたね。


上月

ってことは、今の眞鍋先生が、まぎれもなく本物の眞鍋先生なわけですね。


眞鍋

そうそう。牛込先生が言ってくれたみたいに、たぶん日本の学生の多くが、無意識のうちに鎧を着せられているんだと思います。その点、海外で学生時代を過ごした髙木先生はどうでしたか?


髙木

たしかに眞鍋先生が言ったような感覚はまったくないね。偏差値って人と比べるための数字でしょ? そういうものはなくて、常に“絶対値”で生きてきたから。


眞鍋

じゃあ日本では自分の出身大学を言うことに抵抗を持つような人がいますが、そういう姿は髙木先生にはどう映っているんですか?


髙木

大学の序列は、どこの国でも多少はあるから、劣等感を持つということは理解できるよ。でも日本ってその感覚があまりに強いでしょ? 一般的にはいいとされる大学を出ていても、「もっと上があるから」っていう理由でなぜか自分を下に見るというか。その感覚は、本当に怖いなって思う。

海外で学生時代を過ごした『探究デザイナー』髙木先生の経験値は他の先生にも大きな影響を与えます。


眞鍋

冷静に考えると、その考え方や受けとめ方って異常なんですよね。


髙木

うん。異常だと思う。僕はそういう文化で育たなくてよかったって本気で思っているよ。

日本の学生の多くが、
無意識のうちに
鎧を着させられている。

Theme3

学力だけが重視される教育の中で、
それだけでは測れない個性を。


池谷

日本の教育では何よりも偏差値が重視されてきて、今でもそこから脱することができていないよね。その結果、眞鍋先生のように、自分の思いや感情を言えない生徒や、知らぬ間に自身の夢とはかけ離れた場所にいる生徒が増えている。もちろん一部の人は何かしらのきっかけで、そこから抜け出すことができるけど、多くの生徒はそうなれていないと感じます。


上月

そうですよね。僕は中学時代は偏差値の高い高校に入るために一生懸命に勉強していていました。いざ入学すると、そういう高校だから、上には上がいるわけです。そこで僕はある種の諦めがついて「じゃあ陸上を頑張ろう」ってなれたんですよ。


髙木

「学力的に天井がなかった」という点では僕が通っていた海外の学校も同じでしたよ。同学年にハーバードに行く人もいたくらいだから。でもその一方で“底”もなかったから、上と下で相当な開きがありました。そこではそれが当たり前だったから、人と比べることすらしなかったんです。でも日本の高校はそうじゃないんだろうね。


池谷

うん。中学校までは、地域で集められるのがほとんどなので、学力の開きはあるけど、高校受験を経て、だいたい同じレベルの生徒が集まっていくから。その中で、偏差値が上か下に突き抜けていない限り「同級生とは違うところで勝負する」って風には思わないんやろうね。


佐藤

ただ「自分の個性を活かすため」とか「自分の好きなことを追求するため」みたいな理由ではなくて、学力を基準に振り分けるのが日本の学校選択の現状だから、上にも下にも突き抜けないことの方が多いですよね。


池谷

たしかにその通り。ただ前提として強調しておきたいのは、「個性がない」なんてことはありえないと僕は思っているってこと。自分で気づいている、気づいていないにかかわらず、すべての人間には個性があるんやけど、今の教育現場ではそれが見えづらくなっているだけなんじゃないかな。


上月

なるほど。個性を発揮できる場がないだけってことか。たしかに、たとえば中学校で「自分で授業をコーディネートしてみて」っていうような、いわゆる偏差値とは別の観点で考えられる時間があったら、輝いていた生徒が絶対にいたと思います。だから追手門には『探究』があっていいなって思うんですよ。偏差値では測れないいろいろな方向のチャレンジができるから。


池谷

そうやね。学校生活の中で、自分の可能性や個性を見つけられる機会をたくさんつくってあげたい。

『探究ドライバー』池谷先生は、「すべての人間に個性はある」と強く主張します。


上月

はい。今日みんなと話をして、それが大事なんだと感じました。探究の授業を通して、自分の個性を感じたり考えたりして、さらにそれを発揮できる場所を求めていろいろ挑戦してほしいですね。


眞鍋

私もそう思います。中学・高校の間にそれに気づけるのって、今の日本ではすごいことだから。人生の選択肢もめちゃくちゃ広がりますしね。さっきも話した通り、私は幸運にも鎧を脱げたけれど、そもそも鎧なんか着ることなく成長できるのであれば、それが一番いいわけで。今のクラスの生徒たちを見ていると、すでに個性を爆発させている生徒がいるので、将来が楽しみなんです。


髙木

そうだね。今日の座談会で衝撃的だったのが、自分の個性に気づくターニングポイントがそれぞれにあったということ。でもそれに気づくのに、なにかきっかけがいるっていうこと自体、そもそもおかしいし、悲しいことですよね。だから探究の授業でそれを是正して、個性を発揮することが当たり前だと思ってもらえるようにしたいですよね。


池谷

そうやね。今日は肩書の話からそれぞれの個性や強み、そして生徒たちがそれを発揮できる場をつくるために我々がすべきことなど、かなり幅広い話題になりました。まとめると、今の日本では中学生や高校生が自分の個性を見つけることが非常に難しいと分かったよね。そこには偏差値重視の画一的な教育が深く関わっていて、学力の優劣ばかりが目立ってしまうシステムに問題がある気がします。


上月

そんな現状を打破するために、探究科で取り組んでいるわけですよね。


池谷

そうそう。探究科ではさまざまなアウトプットを通して「今の自分はどんな感覚か」に意識を向けることを大切にしているから、それによって「自分は人とは違う」ってことがつかみやすくなるし、それをきっかけに個性に気づく生徒が増えてきている。そういう非常に有意義な時間を探究科の授業が担っているってことに改めて気づけたのが、今日の収穫だと思います!

学校生活の中で、
自分の可能性や個性を見つけられる
機会をたくさんつくってあげたい。

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