TEACHER

2020.07.22UP

【先生コラム】あの日、憧れの地で見つけたのは、新しい「日常」だった。

田中桜 国際事業スタッフ

TEACHER

「覚悟」と「長年の憧れ」だけを持った旅立ち。

留学、と聞くと何かキラキラしたものを想像する人が多いのではないだろうか。もしくは、まったく何も感じないか。留学は確かに、皆が今過ごしている「日常」とはかけ離れていて、キラキラに感じたり、はたまた超面倒くさいものに感じたり、日々いろんな顔を見せてくれるものである。

私は二十歳の時に日本を出て、ハワイに飛び立った。当時通っていた日本の大学を辞め、ハワイの大学に入りなおすためだ。私が留学を決めた大きな理由はただ一つ。

『アメリカに住みたかったから。』

中学生の頃に、とあるアメリカの高校生活を描いた映画を見たときから、アメリカで暮らすことは私の憧れの対象だった。

「私もトロイ(その映画の主人公)と付き合いたい!」

憧れなんて、そんなものだ。

私は勉強ができたわけでも、英語が得意だったわけでもなくて、高校生の時の英語の点数は11点とかで、(もちろん100点満点)欠点取りまくりの私の成績に先生たちは頭を抱える日々で。私には出来ることよりも出来ないことの方がずっとずっと多かった。

高校3年生の時、将来の夢も、やりたいこともなく、志望校も決められないでふらふらしていた私に周りの大人たちが言うセリフぶっちぎりナンバーワンは「とりあえず大学は行っておきなさい」だった。

とりあえず大学に行くことに成功したけれど、半年で行けなくなった。ただなんとなくやり過ごしていたはずの日々。先も見えず、今いる場所も分からず、いつしかやり過ごせなくなっていた。

そして私はハワイに飛び立った。ただ逃げたい気持ちが大きかった。

どうしたの?って聞いてくる友達から、なんだかそわそわしてる家族から、

今いる場所でうまく生きていけない自分から、覚悟と、長年の「憧れ」だけを胸に、わたしは逃げた。

自分のことを、自分で理解するために。

ハワイで過ごした4年半。日常を離れてやって来たはずが、いつしかそこにまた新しい私の日常が生まれていた。文化もお金の価値観もまったく違うイラン人とアメリカ人のルームメイトから期日までに家賃を徴収することも、キッチンが壊れて修理してもらおうとしたのにハワイアンタイムで約束した日に修理屋さんが来ないことも、そんな中でも期末テストのエッセイを大量に書き上げないといけないことも。きっと日本では直面すらしない問題を、一つ一つ着実にこなしていく。だってそれはもう、紛れもない私の「日常」だから。そしてそれらの日常は、いつだって私の「憧れ」の中にあった。

憧れの中にいる私は無敵だった。異国の地での生活は、もちろん山あり谷ありだけれど、だけどそれらすべてが、私の憧れていた土地で起こっている。多国籍な友達との英語での会話。ハワイアンタイムにも負けない心の余裕。ラップトップを片手に颯爽とキャンパスを歩く自分。

『え?私めっちゃかっこよくない?』

中学生の頃からの憧れが、もうちょっとやそっとじゃへこたれない私を作り上げていた。出来ないことも多い。だけど、出来るはずのことを私にはどうせ出来ないと思うこともなくなった。逃げてきたはずの自分は、居場所を求めて飛び込む勇気ある自分へと。ものの見方が、がらっと変わった。

自己肯定感とは、自分の能力に嘘をつかないことだと思う。自分には一体何が出来て、何が出来ないのか。出来る自分も、出来ない自分も理解すること。そしてその能力を、還元すること。自分のことは、自分が一番知っておきたいと強く思う。

ハワイでの日々が、今の私をつくっている……。

居心地のいい場所を見つけ、「憧れ」を「日常」に。

わたしは国際事業スタッフとして、留学のサポートをしたりしているけれど、留学することがすべてだとは思っていない。ただ、私たちひとりひとりの、居心地のいい場所はそれぞれ違って、それはきっと日本だけに限らない。ただそれだけだ。

日本を離れて分かったこと。それは、世界はとても広いということ。だけど、君たちの、私たちの、ひとりひとりの未来は、世界よりもずっと広い。

皆さんが、自分だけの居心地のいい場所を見つけられますように。そして皆さんの「憧れ」がいつか、新たな「日常」に結びつきますように。

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