探究科 座談会その2-後編-

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SPECIAL

2021.05.17UP

大切なのは、課題解決よりも『振り返り』。その真意とは??

MEMBER

池谷陽平探究科

髙木草太探究科・英語科

眞鍋綾探究科・英語科

上月龍太郎探究科・数学科

東野友洋探究科・社会科(退職済み)

毎授業、振り返りを行なった1年間。
その意味は? 生徒たちへの効果は??

追手門学院中・高等学校(以下:追手門)の探究で特に大事にしているのは、授業の最後に必ず行う『リフレクション』、つまり生徒たちによる振り返りです。そこで今回は2020年度の1年間で蓄積された膨大な数のリフレクションを見ながら、それらが生徒にもたらしたもの、また授業を担当する教師にもたらしたもの、さらに追手門の探究におけるリフレクションのあり方や意味に関して、前回と同じメンバー、同じ雰囲気でカジュアルに語って行きます。5人の先生たちが印象に残ったリフレクションもピックアップして紹介していくので、それもお楽しみに!

収録日:2021年3月4日

Theme1

教師が伝えようとしていたことを
生徒自らが見つけ出した衝撃。


池谷

前編では眞鍋先生と上月先生のお気に入りのリフレクションを紹介してもらいました。2人に共通していたのは生徒のリフレクションが教師である自分への励みになっていたり、また教える側としてのあり方を考えさせられる内容になっていたりしたことやね。それもいわばリフレクションがもたらすもののひとつかもしれません。なので、リフレクションが教師に与える影響みたいな話も後編の最後にできればと思います! では後編は僕のお気に入りから。

『体はここにいても心はここにいないことがあること。』


池谷

ふたつに絞るのはすごく迷ったんやけど、ひとつはこの言葉を選びました。これは中学1年生の生徒が、ほぼ最初の探究の授業で書いてくれたもの。なんでこれを選んだのかというと、中1〜2にかけては、まず自分自身を知ることが大切なので、そのために自分の体験を観察できるようになる必要があると思っていて。観察して、そこで感じたままをちゃんと自分の中で描写できることが第一段階だと設定していたから、このリフレクションはまさにそれをやっているように感じたんよね。


眞鍋

分かります。私は主に中学2年生の探究を担当しているのですが、池谷先生が言ったように、まず自分の思っていることを書けるかどうかが大事な時期ですよね。


上月

そんな中でこの言葉が出ているということは、そう思う出来事があったんでしょうね。


池谷

そうそう。おそらくこの生徒は、過去にもこういった感覚を少なからず持っていたんじゃないかな。それを言葉にして表現できたということがポイントなんよね。このリフレクションを書いてくれた日は『フォーラム活動』をやっていて「単純にその場所にいることに集中する」という授業でした。行為としてはすごくシンプルなんだけど、だからこそ「あ、いま集中できてなかった」「体だけここにあった」ってことを感覚として捉えることができたんじゃないかな。それを素直に言語化してくれたことが嬉しいよね。もうひとつは高校1年生の動画制作で書かれたこのリフレクション。

『作品というものはその人の人生の中の一部の時間を使ったもの。』


池谷

これは実は一部省略をしていて、この後に「だから作品は大事にしないと〜」という内容が続くんよ。まず高1でこの感覚を得たことがすごいよね。作品を観るという行為に始まり、その背景にあるつくり手までを想像して、さらにその人の時間が使われたものだから大事にするということが書かれている。ちゃんと他者のことまで考えられているし、ここまで感じられるなら、きっと自分の作品への思い入れも変わってくるよね。


眞鍋

作者と作品へのリスペクトがないと出てこない言葉ですよね。芸術って、作家のセンスや才能でマジックのように作品が出来上がっていると思われがちだけど、決してそうではないわけで。ちゃんと作品に込めた思いや時間まで考えをめぐらせているのは、素晴らしいと思います。


上月

あと表現にもすごくオリジナリティがありますよね。言葉のひとつひとつは、ありきたりなものなんですけど、今までの人生で読んだことがないような文章だったから。


髙木

書かれていることは言わば当たり前のことで、読めば誰だって「たしかにそうだな」って思うことですよね。きっと誰もが知ってはいることだし。だけど本当にそれを実感して理解する経験はあまりできないと思う。この1文を読むとこの生徒はそれを強く実感したということが伝わってくるんですよね。


池谷

そうそう。やっぱり知識として知っているだけではなくて、実感できたということが大きな意味を持つと思います。普通の学校生活の中で、この体験をするタイミングってなかなかないからね。


東野

自分も作品をつくっていたし、周りのみんなも作品をつくっていた環境だったから、逃すことなくキャッチできたのかもしれないですよね。


池谷

もうこのレベルの気づきと振り返りができるのであれば、我々が教えることはありません(笑)。じゃあ、次は髙木先生にお願いしようかな。


髙木

わかりました。選出の仕方がそれぞれ違っていて面白いですよね。僕もちょっと視点が違うかも。別々の生徒から選んだんだけど、つながりがあるふたつを選びました。

『価値観なんてだいたい一緒で違いが出るのは結局、体験、経験、経験値だった。』


髙木

僕は生徒たちが何かを定義づけているようなリフレクションが好きなんです。というのも、僕らが例えば「価値観っていうのは〜」って説明して教えるのは簡単だけど、それだと知識にしかなりません。だから生徒たち自身が体験して感じたものを自分なりに解釈して定義づけることにこそリフレクションの意味があると思っているし、そういったものが輝いて見えるんです。


池谷

なるほどね。いま紹介してくれたリフレクションは、実体験にもとづいて出てきたものにも思えるし、知識だけで書かれたものとも読める。髙木先生はどう考えているの?


髙木

これはかなり初期の方のリフレクションなので、おそらく知識をメインに書かれたものだと思います。この生徒にとって「価値観はみんなだいたい一緒で、結局は経験値が大切」っていう知識があったんでしょうね。おそらく実感できる体験をしていたら、こういった結論ありきの言葉遣いにはならないと思います。現在のこの生徒なら、たとえ結論が同じだったとしても、もっと“違い”をリスペクトする言い回しになるんじゃないかな。


池谷

この1年間で生徒たちもいろいろなことを実感したもんね。この生徒だって、知識が自分の経験値になっていく体験をしたかもしれないし、もう一度同じ活動でリフレクションをしたら気づけることも多そう。ではもうひとつは?


髙木

今のが個人のリフレクションなので、次はチームで活動した時のものを選びました。こっちは体験を通して書かれているものです。

『チームで活動しているときってたまに自分は役に立てているのかなと思うこともありますが、チームって一人でも欠けてしまうと大変だと思うので「一人」の存在は大きい』


髙木

チームの中で「自分は役に立っているのか?」って不安に思う生徒ってすごく多いじゃないですか。それは自分の価値を信じてあげられていないからですよね。役に立っていないわけがないのに。ただたくさんの生徒がそういう思いを抱えているのを見ると、改めて「自分の価値を実感するのって、難しいんだ」と気づかされます。だから僕はそういう生徒に対しては「じゃあ、明日休んだらいいよ」って言うんです。そうしたら困るのはあなたではないからって(笑)


東野

自分がいなくて誰かが困るってことは、つまり自分が必要ってことですからね。


髙木

そう。ここで問題なのは、誰にだって価値があるし、それを発揮できているんだけど、それを分からなくしている上司や組織、社会があるっていうこと。その環境にいると「お前には価値がない!」って言われるかもしれないけど、絶対にそんなことはないんですよね。そのことを生徒たちにきちんと言っておかないと……と思っていたら、このリフレクションが出てきた(笑)。これはもう衝撃でしたよ。僕が言葉で伝えようとしていたことを、チームの活動の中で生徒が見つけてしまったんだから。


池谷

これが書かれた日はどんな状況やったん?


髙木

この生徒と同じチームの1人がやむを得ない理由で欠席していたんです。それもあって「チームって一人でも欠けてしまうと大変だ」と実感したし、一人の存在の大きさも感じたんでしょうね。「もしも休んだのが自分だったら……」と置き換えることで「私も欠けたらだめなんだ」と。


池谷

なるほどね。チームでのリフレクションって、個人よりもハードルが上がるやん? なぜなら「他の人のことを言ってもいいのかな?」っていう配慮が生まれるから。だからそれをやることが意味を持ち始めるのはもう少し先かなと思っていたけど、これはすごいね。偶発的な経験から、ずっと抱えていた「自分って役に立っているのかな?」っていうモヤモヤが晴れたわけで。


髙木

そうそう。たまたま起きた出来事から、とてもいい気づきを得ていると思います。


上月

「一人の存在は大きい」と気づいているってことは、特に明確な理由もなく「大手企業を目指します」みたいなことも言わなくなるんじゃないかな。


髙木

“チーム感”を大事にするやろうからね。さらにちょっと補足をすると、これには中略している部分があって。本当は「一人の存在は、たとえ誰であれ大きい」って書いてあります。つまりチームの中の特定の人物じゃないんですよね。


上月

リーダーとかの役職があるかどうかは関係ないんですね。


髙木

うん。誰であれチームに必要だと感じているんだと思うよ。この生徒は今後「自分は役に立っていないかもしれない」とは考えないだろうね。


池谷

ふたつのリフレクションを並べてみると体験によって変わってくることがわかるよね。なかなか興味深い観点でした。ありがとう!

自分なりに解釈して
定義づけることにこそ
リフレクションの意味がある。

Theme2

人格形成の過渡期にいる
中学3年生が気づき、訴えたこと。


池谷

では最後は東野先生がピックアップしたふたつを見ていきましょう。


東野

僕は中学3年生のものから選びました。「2020年度の中3が書いた」っていう事実にもストーリー性を感じています。まずはこちら。

『作品づくりを楽しいとは思わない。ただそれでも考えられることが多く、見つけることをする努力はできたんだろうと思う。』


東野

これはあくまで個人的な見方ではありますけど、昨年度の中3って1年生のときから割とかっちりと決められた環境下にあったと思います。毎週のように学年集会をして、きれいに並んでビシッと座らせて、前回の言葉を借りるなら「形を育てた」学年のように思っていて。そういった中で過ごしてきたからか、リフレクションでも、どちらかというと“形を整えよう”とする生徒が多かった印象があります。その中にあって、この文章はひとつ殻を破ったような感覚がありました。


池谷

ほう。どういうこと?


東野

いま言ったような環境で学校生活を送ってきた生徒にとって「面白くない」「楽しくない」とはっきりと言い切るのは、精神的なハードルが高いことだと思います。おそらく探究以外の普通の教科だと、ここまで直接的な言葉で表現をしなかったんじゃないかな。探究の授業だからこそ、素直に吐き出せたのかもしれないって思うんです。このリフレクションからは本人の責任を感じるし「作品づくりを楽しいと思えない自分が好きになれない」みたいなニュアンスもありますよね。


髙木

この文章って前半は主観だけど、後半は少し客観的な視点もはいっているよね。たぶん主観だけでは「楽しくない」って感情が先行してしまうけど、それでも自分を客観視することで、何かそこに意味を見出そうとしたんじゃないかな? それがすごいところだよね。大人な感じがする(笑)


池谷

確かに昨年度の中3って「探究って意味あるの?」みたいなスタンスの生徒が多かったやん? そもそも受験があるという点でもセンシティブな学年やし、成長過程においても、理屈っぽくなって、物事に意味を求め出す年齢でもある。この生徒はそんなステージにいて、探究の時間に疑問を感じて、楽しいとも思えない中で、それでも客観的に見てみようという気持ちが芽生えたわけで。それってめちゃめちゃ嬉しいよね。そういった複雑な感情を探究の中で出せるならなおさら良かったし、僕たち教師はそういったことも含めて、ちゃんと受け止めないといけないなと思ったわ。


東野

そうですね。僕は正直な気持ちを吐露するようなリフレクションが好きだし、さっきも言ったようにこの学年が育ってきた環境も知っているから、余計にグッと来るものがありました。


池谷

ありがとう。じゃあ次をお願いします。いよいよ最後やね。

『自身の心はまだ、わからないことが多いということ。』


眞鍋

これも東野先生らしいなぁ。また昨年度の中3ですか?


東野

そうです。この内容は、もしかしたらこの学年の全員が感じていたことなのかもしれません。彼ら・彼女たちはこの1年間ずっと「探究って意味があるのかな?」と感じながらも活動をしてきました。でもきっとそれだけではなくて、そこにはさまざまな感情の動きがあったんだということを、これを読んで感じました。例えばレゴに没頭している自分もいるけど、リフレクションを書くときになると「やっぱりつまらない」と書いている自分もいる。そうやって自分を知っていく中で、“ブレている”自分に気がついて、この言葉になったんだと思うんですね。「自分がどういう風に思っているのか、自分でもわからないんだ」っていう感覚には大人である僕だってすごく同意できるし、ビビっときましたね。


池谷

うんうん。この1文だけを読むと、まるで悟りきっているかのような印象も受けるけど、むしろ逆で、自分の感覚がガンガン揺れている渦中にいるからこそ出てきた言葉なんやろうね。でもこの生徒には「分からないことが分かった」ということ、さらにそれを言葉にできたということに自信を持ってほしいな。


上月

僕がこれを読んでポイントだと思ったのは「多い」と言っているところですね。この生徒にとって自分っていうのは、いくつもの項目で構成されていて、判明しているものもあるけど、まだまだ解明できてないものも「多い」と言っている気がするな。「多い」ってことはクリアになっている部分もあるってことやん? 池谷先生が言ったみたいに、まだ分かっていないことを見つけられたことで、すでに分かっている部分が鮮明になったんじゃないかな。


東野

そうですね。形にとらわれずに自然と書き出した感があって、本心なんやろうなって思います。


池谷

はい。東野先生、ありがとう! これですべてが出揃ったわけだけど、本当に先生によってぜんぜんタイプの違うものが並びました。それも面白いしかったね。もちろんここにピックアップされたものがリフレクションとして優秀だったとか、選ばれなかったものがダメだったってことではないので、念のため。では最後にまとめにいきましょうか。

複雑な感情を
探究の中で出せるなら
なおさら良かった。

Theme3

まずは振り返り、自分を知る。
課題解決の“ひとつ前”を大切に。


池谷

これまでリフレクションの大切さや定義について語ってきて、やはり教師に与える影響が少なくないってことも分かったよね。そこで最後のテーマとして「リフレクションから受けた影響」と「先生たちもリフレクションをやっているか」ということを聞いていきたいと思います。


眞鍋

私は生徒一人ひとりのリフレクションを毎回めっちゃ読み込んでいます。前編でも話したとおり、リフレクションの時間ってすごく静かで、生徒たちは集中していますよね。そういう時間の中で出てきたものって、周りの生徒には影響されていない素直な言葉だと思います。だからこそ生徒がどういう風に授業に臨んでいたのかが伝わってきて。私にとって生徒のリフレクションは、授業をつくるための重要なヒントになっています。


池谷

それは分かるなぁ。リフレクションを見ると自分の授業が良かったのか悪かったのか、一瞬でわかる。


眞鍋

そうなんですよね。最初の頃は、生徒たちから出てくるネガティブな反応を受け入れるのに、すごく心が消耗したのも事実ですね(笑)


池谷

そういうときはめちゃくちゃ凹むよね……。


眞鍋

だけど続けていくうちに生徒たちがどんどん伸びていってくれました。一方で感じたのは「大人である私はちゃんとリフレクションできてるのかな」ってことでしたね。


東野

僕は授業のことはもちろん、プライベートに対しても、毎月リフレクションをしています。それをすることで、さまざまなことに対してより責任を感じるようになりましたね。例えば何も書くことが思いつかない月は「そういう過ごし方をしたんだ」って自覚させられるので。


眞鍋

面白そう! 自分のリフレクションはどうやってするの?


東野

自分のパソコンに書き出しています。誰にも見られたくないので(笑)。内容はさまざま。日常の良かったこと、悪かったこと、面白かった映画とかもあったかな。1年の終わりにみると楽しいですよ。「この時は何を考えていたのか」とか「こんなことがあった」とか、それこそ振り返りができるので。


髙木

それが続けられるのはすごいよね。僕は自分ではあまりしていないんです。でも実は父親がずっとやっていて。「1年にあった10のこと」を年末に書いているらしく。20歳くらいから続けているって言っていましたよ。


池谷

それは相当すごいな。髙木先生が自分でリフレクションしないのはなんで?


髙木

一度、父親の真似をしてみようと思ったんですけど、できないんですよ(笑)。1年に1回のリフレクションすらできない。その理由を考えてみると、僕は自分の感情を見つめることがものすごく苦手ってことに気がついたんです。特に喜怒哀楽でいうと、喜びと楽しさ以外はあまり感じている実感がなくて。実際、めちゃくちゃ悲しい記憶って、もうこの10年くらいないですね。


池谷

じゃあもともとあまり過去を振り返らないってこと?


髙木

まったく振り返らないんですよ。だから後悔もしません。よく「過去から学べ」みたいなことを言われるけど、過去に経験しているのなら「もう学んでるから」って思っていますね。でもリフレクションに代わるものはたくさんありますよ。たとえば探究の授業が終わった後にメンバーと話し合っているのもそうだし、SNSで気になった記事を保存しておくのも、歩いている時に思いついたことを携帯のメモに残すのも、いわばリフレクション。だから僕のリフレクションはネタ帳かな。


池谷

なるほど。何かが起きたあとに振り返りをする人もいれば、常に自分の中に蓄積させていく人もいるってことね。じゃあ上月先生は?


上月

僕もメモ帳に貯めていくタイプ。だから髙木先生の話はめっちゃ共感できますね。僕の場合はそのメモ見て、授業の最初に脚色もアレンジもせずに生徒たちに言うって決めているんですよ。


池谷

うん、いつも言ってるな。


東野

探究の授業の頭でもよく見るやつですね。


上月

メモを見てそのまま言うから、昨日言っていたことと今日言っていたことが真逆になることもあるんですよね。でもそれは自分の中に理由があって変わっているはずなので、自分の変化に気がつくためにもいいですよ。同じように生徒たちのリフレクションも、過去と今で矛盾があっていいと思うんですよね。過去と今で変化を意識できるのもリフレクションのひとつの魅力かなって思っています。


池谷

なるほどね。最初に眞鍋先生が言ってくれたように、おそらく探究科の教師は全員、生徒たちのリフレクションにめちゃくちゃ影響を受けているし、先生自身もそれぞれの方法でリフレクション的なことをしているっていうのが分かっても面白かったね。ということで今回の座談会はここまで。やはり話をしていく中で感じたのは、探究学習において大切にすべきなのは振り返りだってこと。世間的には『課題解決』という言葉が流行語のように使われて、教育の現場でもよく耳にするけど、それよりもまずは『振り返り』を通して自分に向き合い、自分自身を知ることから始めないと、その先にあるそれぞれのやりたいことも見えてこないし、問題の発見にすら至らない。だからこそこれからも追手門の探究科では、課題解決の前にあるもっとも重要なプロセスとして、自分を知るということに重きを置いていきたいと思います。うん。よし!!


眞鍋

勢い重視でまとめた感がありますね(笑)。次回のテーマは何でしょうか?


池谷

世の中で非常に多種多様な捉え方をされているのが『探究』です。なので次の座談会では「追手門の探究は、どういうものなのか」というテーマを取り上げる予定です。お楽しみに!

課題解決の前にある、
自分を知るというプロセスに
重きを置いていきたい。

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