同志社女子大学名誉教授 / ネオミュージアム館長 上田信行

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INTERVIEW

2024.02.07UP

場とツール、スピリットにメタ認知で、『探』を『究』していく。(後編)

PROFILE

上田信行

同志社女子大学名誉教授 / ネオミュージアム館長

同志社女子大学名誉教授、ネオミュージアム館長。1950年、奈良県生まれ。
同志社大学卒業後、『セサミストリート』に触発され渡米し、セントラルミシガン大学大学院にてM.A.、ハーバード大学教育大学院にてEd.M.、Ed.D.(教育学博士)取得。専門は教育工学。
プレイフルラーニングをキーワードに、学習環境デザインとラーニングアートの先進的かつ独創的な学びの場づくりを数多く実施。
1996~1997ハーバード大学教育大学院客員研究員、2010~2011MITメディアラボ客員教授。

INTERVIEWER

池谷陽平

探究科 Driver

Theme1

大事なのは、場、そしてツール。
誰もが自然と良い問いを生み出せるように。

ここからは僕たちが中学生・高校生を相手に探究の授業をする上でも実践できるような方法論の話もしていきたいなと思います。

そうですね。ちょうど昨日、『問いかけの作法:チームの魅力と才能を引き出す技術』という著書が話題になっている安斎勇樹さんとの講演会の依頼があって、大阪府産業デザインセンターでやってきたところです。そこで彼は「“問い”というのはスポットライトだ」という話をしていました。つまり良い問いを出すことで、話したいという場ができるということですね。おそらく池谷先生たちも授業をやっている中で理解できていると思います。例えば生徒たちに「ここまでで何か意見はありますか?」なんて聞いても、ほぼ何も出てこないでしょ?

はい。それだと出てこないですね。

そうですよね。それは僕がやっても同じです。でも例えば「今日私が言ったことの中で、一番きらいなフレーズはなんですか?」とか、少し聞き方を変えると、生徒たちは考えるようになって、何か戻ってくる可能性が高まります。

なるほど。確かにそれはそうですね。

安斎さんがそういう話をしてくれたので、それに対して僕はどういう風に”クラッシュ”させて「プランC」を生み出そうかと考えた結果「“場”が大事だ」ということに気づきました。

「場」が「問い」をつくり出すということですか?

そうです。良い問いが出せるかどうかは、個々人の経験や能力、特別なテクニックではなく、場の空気にかかっているのでは? という仮説を立てました。というのも、ここで議論されているのは、クエスチョンがあって、それに対するたったひとつのアンサーというような話ではありません。自然と良い問いが出てくるような場をつくれれば、誰もが勝手にいいことを喋れるような気がします。

その「場」があった上で、スポットライトとしての良い問いが出てくると、より効果が高まるということですね。

その通りです。さらにその「場」をつくるためには「ツール」も大切です。そこで僕たちは「プレイフルになるためのキーワード」が書いてある『プレイフルカード』というものをつくって、ワークショップなどで活用してきました。これ、1セット差し上げますよ。

わ、ありがとうございます! 「トランスフォーメーション」「アンプラグ」といった単語が描かれていますね。

それらの言葉をどのように解釈して、意味をつくっていくかを議論するのもひとつの使い方ですね。

一式プレゼントされたプレイフルカードを見ながら、議論は進んでいきます。

例えば「アンプラグ」だったら、「既成概念を一度外して考えてみよう」といった読み解き方ができます。「自分のコンセントを抜いて、素の状態に戻り、心の奥に耳を傾ける」といった定義づけも可能ですね。『トランスフォーメーション』はそのままだと使いにくいですが、「変換させる」「変容させる」といった意味に捉えることもできます。そのように“プレイフル”になるために、言い換えたりパラフレーズしたりするわけです。池谷先生も探究の授業でよりよい場をつくるために、こういったツールをつくるのも面白いんじゃないかな。

『探』と『究』に分けるなど、言葉による意味の解釈や定義付けに重きを置く上田先生。

『探』『究』に分ける考え方は、とてつもなく大きなヒントになったと池谷先生は後から語っていました。

ここまでの話を受けて、以前、市川力さんと一緒に研究会をさせていただいた時に、彼が「探究」という言葉を「探」と「究」に分けて考えるといいとおっしゃったのを思い出しました。「探」は先ほどの修験道のように、頭ではなく身体全体で感じるフェーズですね。そして「究」はそれをもっと究めていくイメージ。そもそも「タンキュウ」という言葉には「探究」と「探求」のふたつの漢字がありますが、みなさんはどうやって使い分けているの?

僕たちもそこはよく考えるのですが、「探求」+「究める」=「探究」のようなイメージで、やっぱり「探」と「究」に分けて考えるのがいいと思います。「探」は目的のない感度を高める旅という感じです。自分で見つけた目的に向かってさらに深掘りしていくのが「究」だと思っています。

そうだよね。「エクスプロア」と「インクワイア」の違いかもしれない。そこはしっかりと考えておくのがいいと思います。

ただし「究める」といっても、生徒たちがまだその身体になっていないというか、身体が敏感になっていないというか、“究めるのに適した状態”でない場合があります。まずはその鈍った状態の身体を呼び起こすところから入らないと、探すことすらできないと思っていて。

やはり頭じゃなくて、身体で感じさせることが大事なんだね。

はい。だからプログラムをつくる時にもそこには意識していて、まずはいろいろなことに触れて、「まずやってみる」という姿勢をとても大切にしています。

その考え方はバッチリだと思いますよ。6時間も山に入っている中で、頭で考えても、すぐに抜けていくだけなので、身体に入れる必要がある。それができてから、考える。まずは直感的にいろいろと気づく身体にしないといけないね。「あれ、普段みているこれって、こんなカタチだったっけ?」みたいな。それが「探」のフェーズで、そこができてから「究」に入っていく。これがいいよね。まさに池谷先生がおっしゃったように、まだぜんぜん「探」の身体になっていないのに、頭から入っていくのは絶対にダメ。もっと身体ごとぶつかって、感じることが大事です。「これって、なに?」みたいな。その上で先ほど出てきた「発酵」っていう言葉も相性がいいと思いますよ。「探」で感じたものを「発酵」させて「究」にする。

はい。すごくしっくりきます。

今「探究」を「探」と「究」に分けたように、やっぱり言葉ってすごく大事だと僕は思っています。安斎さんとの講演会でも、彼は“深堀りと揺さぶり”という言い方をしていて、揺さぶるためには、「違う言葉で言うならどうなのか」を考える必要があると言っていました。例えば「“プレイフル”という言葉を別の言葉で言い換えてみよう」とか。先ほど見学してもらった授業は、時間的にもあそこまでが限界だったけど、高校の授業はもっとゆっくり発酵させることもできると思うので、そういうイメージを入れていくのもいいんじゃないですか? 

「探」で感じたものを
「発酵」させて
「究」にする。

Theme2

探究・イズ・ソーシャル。
1人でも3〜4人でもなく、まずは2人で。

普段、授業を進めていく中で、関心を示していない生徒や、ぜんぜんやる気のない生徒に対して、どうボトムアップしていくのか。それが探究科の課題としてあり続けています。中学生や高校生に対して探究の授業をやっていると、そこがすごく難しくて。

それは難しいですよね。まったく関心がなくて、知らんぷりしている、みたいな生徒もいて当然です。悩みの種ですよね。

でも先ほど見学させてもらったワークショップを見ていると、そういう生徒がぜんぜんいなくて、みんなノリノリでした。やはりきちんと目的を持っている生徒は強いなと思って。

確かに今日の生徒たちに関しては、ひとりもいなかったかもしれません。

上田先生の授業の場合は、やはり“プレイフル”というキーワードをベースにそういう状態がつくれているのかなという印象があります。ただ僕たちが見ている中高生の「楽しい」は「楽」ということに近くて、「こういうふうに楽しいんだよ」と引っ張っても、すべての生徒がこっちを向いてくれるわけではありません。そういった個々に対して、有効な具体的なアプローチはあるのかなと。

極端な言い方をすると、僕はあまり個々は見ていないかな。一人ひとりを変えようとは思っていないような気がします。それよりも「場を変えると、個々も変わる」と思っている。つまりその授業に関心や興味がないのは、その子のせいなのではなくて、その場に合っていないと考えるわけです。あるいはその場が持つ面白さに気づけていないというか。

なるほど。「場」に起因していると。

そうですね。そこで具体的な方法としては、企業の研修を依頼される時もそうなんですが、まずはチームで取り組んでもらうということです。そうでないと、一人ひとりを前向きに変化させるのは非常に難しいからね。ちなみにこの話に紐づけて紹介したいのが、アーティストのオラファー・エリアソンが唱える『we-ness』という概念です。

we-ness……、つまり“私たち感”ですか?

そうですね。彼は互いに支え合うことに関わる創造性や自信などを育むベースは「相互に知識や学びを与え合う」ことだと言っています。つまり私たちはお互いに学び合っているわけで、「we」として行動することが必要だということですね。

なるほど。確かに我々も同じようにチームで取り組んでもらう方法をとることが多いですね。

1人だと成果の責任が自分だけにのしかかってしまうので、うまくいかない時に落ち込んでしまう人もいるでしょ? それがよくない。あともうひとつ大事なのは、チームの人数ですね。3人とか4人だと「自分は関わらなくていい」と考えてしまう可能性があるので、まずは2人がいいんじゃないかな。そういう形で進めながら、2人でやる気が出てくると、最終的に1人になったときにもガッと前向きになる可能性がありますよね。

探究科の持つ悩みに寄り添い、具体的なアプローチを導き出す上田先生。
1人で? それともチームで? 探究にはどちらが適しているのか。池谷先生はそれを探り続けます。

ただ「探究」って最終的には1人でやるのが適しているような気もしています。たとえば高1〜高3までのカリキュラムを考えるとして、「高3は1人でやってほしい」みたいな。

僕は授業の中で『ジョイント』という言葉をよく使います。なぜなら学びや探究って“ソーシャル”なものだと思っているから。だから最小単位を2人にしている。もちろん1人でじっくりと考えたり、ひとつのことを追求したりするのも大事なんだけど、基本的には2人。そうするとそこに対話が生まれます。

確かに最近は「対話型鑑賞」も流行っていますね。

そうそう。“自分と誰かと対象物”っていう三項関係をつくって、「え? そんなところに線が見えた?」とか「私はあるように見えなかったけど」みたいな最初の事実確認は2人でやった方が絶対に深くなっていくよね。だから例えばすごくやる気のある子とそうではない子をペアにするとか。僕もコロナでオンライン授業になった時に、ズームのブレイクアウトルームは、いつも2人で対話できるようにしました。

2人だったら、両方に責任が生じますもんね。

そうなんです。4人にしちゃうと、絶対に話す子と話さない子ができてしまう。2人だったら、仮にやる気がなくても、話さざるを得ないから。2人のチームをどんどん変えながら授業をやっていくのとかはいいと思いますね。『Joint Inquiry(ジョイント・インクワイアリ)』なんていう言葉をつくるのもいいんじゃない? やはり他者がいないと議論って進まないものです。バンドとかでもそういう形が多いでしょ? まずはグループでやって、その後、ソロ・デビューみたいな。その逆ってあまりないよね。

会場となった【教室(Playful Learning Atelier)】には、気になるキーワードがたくさん吊るされていました。

僕たちは最初、逆のイメージで考えていたんです。ひとりの方が自分のペースで探究できるから自由にやれるのかなって。まず自分ひとりでやってみて、そこで見つけたものを持ち寄ってから、チームで活動するというのがいいのかなと思っていました。

でも実際はそれだとあまりうまくいかないよね。まずは2人から始めて、その後1人でゆっくり考えるという方法もぜひやってみてください。僕のゼミも、プロジェクトは8名とかの単位でやってきました。その上で、今まさに卒論の段階になって、一人で取り組むようになっています。つまりチームから個人ですね。

なるほど。卒業を目前に控えて、最終段階に入っているイメージですね。

心理学者のヴィゴツキーも同じようなことを言っています。彼の基本的なセオリーは、精神間でインターラクションしたことが、内化していくということで、“精神内機能”に変わっていくというものです。精神と精神で送り合ったことが、自分の中に入ってくるということですね。だから『探究・イズ・ソーシャル』と考えるのがいいんじゃないでしょうか。3人だと「パブリック」になってしまう。2人がいいですよね。

ペアワークによって、あまり前向きに取り組めていない生徒を引き上げるということですね。

うん。それが効果的な気がします。2人で学校の中をお散歩するなんていうのも面白いですよね。おそらく急にモードが変わると思いますよ。 

授業に関心や興味がないのは、
その子のせいなのではなくて、
その場に合っていないと考える。

Theme3

BTSモデルとメタ認知で、
中動態の状態をつくり出す。

ここまでお話してきたことをまとめると、僕は今『BTSモデル』という紹介の仕方をしています。

『BTS』ですか?

そう。先ほど出てきた「場」と「ツール」、そして「スピリット」が大事だということですね。

なるほど。それで「B」「T」「S」なんですね。

「ツール」というのは先ほどお渡しした『プレイフルカード』や、授業の中で使う『『レゴブロックⒸ』『6面体のキューブ』といった物理的なツールに加えて、これも先ほどの話の中に出てきた『問い』みたいな概念的なツールも含まれます。そして最後にスピリット。例えば隣の人と話をしているうちに何か嬉しさがこみ上げてきた、といったようなエモーショナルな部分が非常に大切です。

よりよい「場」をつくり出すために、問いなどの「ツール」が必要になり、さらに「精神的な部分」も大事ということですね。

その通りです。「なにかおもしろいものが生まれそうだな」とか「これもやってみたいな」といったスピリットですね。それを探究の授業の中で育んでください。

トークセッションの最後には、この日の授業を終えたガールズ・メディア・バンドの皆さんも参加。

そしてもうひとつおさらいすると、僕自身も今日のお話の中でも改めて感じた「複数で探究する」ことの重要性ですね。先日、ちょうど横浜国立大学の先生とも同じような話をしていました。「私がやった」ではなくて「私たちがやった」と感じることが大事ですね。

まさに『Joint Inquiry』ですね。

そうですね。探究学習においては「さすが、私たち!」「こんなことを見つけた私たちって、すごい!」と思ってもらうと、効果は高まっていくと想いますよ。

授業やワークショップ、そして対談の中で、無数のインスピレーションや気付きを与えてくれました。

あとは『メタ認知』の力も非常に大事ですね。僕自身、「この言葉をもっと分かりやすく言えないかな」と常に思っていて、自分で本を執筆するたびに、いろいろな先生にも相談してきたんだけど、その結果としてたどり着いたのは、やはり「言語化」じゃないかなと思っています。

生徒たちが言葉にするということですか?

そうです。それがメタ認知をしているということになります。特に探究学習においては、まずは体験をして、自分で、もしくは自分たちでそれについて考えて、理解できたことをなんとか言葉にする。そこがとても重要だと思います。それは“メタな感覚”で物事を見ないと、できることではありません。僕は単に「いろいろなことを体験しました!」だけでは探究とは言えないと思います。やはり言葉にして、人に伝わったという感覚が大事だし、それが喜びや楽しさにつながる。体験をメタ認知して言語化すると同時に、探究活動そのものが、気がついたら探究にハマっていたというような能動態でも受動態でもない中動態の状態を体感できると素晴らしいですね!

まずは体験をして、
それについて考えて、
理解できたことを言葉にする。

【公開に際して上田先生から改めてコメントをいただきました!】

この原稿を読み終えて、William Gibsonの有名なフレーズ、「The future is already here, it’sjust not evenly distributed yet. (未来はすでにここにある ただ十分に行き渡っていないだけだ)」 を思い出しました。もう未来の断片は、今、目の前にあり、それが進化して未来になるのを待っている、ただ僕たちはそれに気づいてないだけなんだと。2人で話し合ったこのインタビューの中に、未来の教育の姿が、どこかに隠れているのかもしれません。僕たちも気づいていないような。読んでくださったみなさま、何か光るものを見つけてくださったら、教えてください! 気づきや解釈なども含めて、皆さんのコメントも、この記事の一部にしていきたいと思います!! ぜひこちらに残してください。一緒に今、未来の希望を創りましょう。

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INTERVIEWER'S VOICE

池谷陽平

上田先生、改めてありがとうございました! 本当に1年以上寝かせた記事になりましたが、より味わい深く発酵したのは驚きです。1年前の「あのとき」がこれほどにまで「今」に影響を及ぼし、深く関わっている。さらに充実した今として存在することの「豊かさ」に触れています。今を豊かにし続けることが、未来も豊かである唯一の方法かもしれない。学校をそんなLearning Fieldにできるように、やれることは全部やろうと思えました! 皆さんご一緒に!!

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