探究科 座談会その1-後編-

SCROLL

SPECIAL

2021.02.16UP

時代は変わった。幸せになるための選択を、自分の意思のもとに。

MEMBER

池谷陽平探究科

髙木草太探究科・英語科

眞鍋綾探究科・英語科

上月龍太郎探究科・数学科

東野友洋探究科・社会科

生徒のため、現場の改善のため。
様々に意見をぶつけ合わせていく5人。

自分たちでプログラムをつくり、それを授業で実践。もちろん思ったような効果が出ない場合もあるので、それを受けてディスカッションを行い、また次のプログラムをつくる……。 “正解のない世界”の中で、それでも生徒たちに社会で本当に役に立つスキルや、ベースとなるマインドセットを身につけてもらうべく日々奮闘している探究科の先生チーム。 そのメンバーに集まってもらい、日頃抱いている雑感を自由に語ってもらいました。(前編はコチラから。)

収録日:2020年12月26日

Theme1

成績をつけないからこそ育まれる
自分への誇りと、他者への尊重。


池谷

生徒たちが敏感になることのひとつに、当然ながら「成績」というものがあって、それが前編でも出てきた「知識を与えるだけ」になってしまう要因でもあるんじゃないかな。


東野

それも結局、受験に関係するから敏感になっているんだと思いますよ。それに成績という指標を出すことで、生徒たちの気を引こうとしている部分が先生たちの中にも少なからずあるように感じます。だってそれが授業に興味を持ってもらう一番楽な方法だから。とはいえ生徒たちが成績を気にする気持ちも分かります。もし僕が中学生だったら「探究は成績に入るんですか」って聞いてしまうと思いますよ(笑)


髙木

あとみんな「平均」も気にするでしょ? それってつまり、クラスとか学年とか、すごくあやふやな集合体の中でさえ、自分は少しでも上に行きたいって意識があるからだと思うんです。ただそんな単一の尺度だけで自分の価値を測っていると、同級生を競争相手としか認識できない世界に行き着いちゃう。


池谷

うん。これはどんな学校にも言えることやけど、成績だけを基準にしてしまうと、勝手に上下関係のようなものができてくるよね。そうなると、なんとなく自分に後ろめたさを感じる生徒も増えてきて、どんどん萎縮してしてしまうし、教室の中で自分の居場所がないと感じたり、自信を持って発言が出来なくなったりするっていう弊害がうまれている。


髙木

そんなの悲しすぎます。だからこそ成績のない授業があっていい。そこではそれぞれが違った能力を認め合えるわけだから。


東野

そこは大切ですよね。それで言うと、僕はいま高校1年生の担任をしているんですけど、他の先生から「今年の高1は横のつながりが希薄だ」と指摘をいただいたことがあります。でも大人たちがそう感じるのであれば、彼ら・彼女たちがちゃんと自分たちと向き合ってきた証ではないでしょうか。なぜなら自分のことを掘り下げて深く理解すればするほど、周りにいる人はどんどん「自分とは違う人」ってことがわかってくるから。だからこそ、適切な距離感を考えるし、むやみに踏み込みもしない。その結果として、大人たちがイメージする生徒のつながり感みたいなものが、薄くなっているだけだと思います。

成績をつけることで、自ずと上下関係ができてしまう現状を危惧する池谷先生。


池谷

自分を知った上で、他者とどうつながるかってことやね。


眞鍋

それってただ“ドライな関係性”ってことではなくて、人のいいところを見ている生徒が多いんですよね。他人の良いところを見つけたり、認められたりできるのは、根本の部分で自己肯定感が育まれているからだと思います。たとえばグループになって活動することではじめて「私ってこういうことが得意なんだ」ってことに気がつくことも多いし、メンバーからのフィードバックも糧になります。


池谷

そうそう。僕も生徒のリフレクションを見て思うことがあって、それは「あの子は〇〇が得意」という気づきがあった時に「それが出来ない自分はダメだ」とはならない生徒が増えてきているっていうこと。つまり自分のことをきちんと理解できているから、引け目を感じるのではなく「でも私はこれができる」って感じられるようになっているんじゃないかな。これまでこういった経験をあまりしてこなかった生徒たちのそういう変化を目の当たりにすると、探究の授業の意味も伝わっていると分かるし、少しずつ成果にもつながってきているのかなって思えるようになってきたよね。

成績のない授業があっていい。
そこではそれぞれが違った
能力を認め合えるわけだから。

Theme2

個々の幸せは、いつ、どこで?
旧来の教育にはない機会を探究で。


池谷

ではちょっと視点を変えてみようか。探究の授業が「週に2時間」っていうのが多いのか、少ないのか。どう思う?


東野

急に難しいじゃないですか(笑)。たとえば週に4時間を探究に割いたとすると、きっとバランスが取れなくなると思います。だから現時点では、むやみに時間を増やすのではなくて、我々がしっかりと「探究の価値」を定義づけて、それを実現するために、丁寧に2時間をデザインしていくことが重要かなと。多いか少ないかだけで言うなら、少ないとは思いますけどね。


髙木

僕も週2時間を超えるっていうのは、リスクがあるように感じます。ただ生徒たちの生活の中に自分のために使える時間はないので、少なくとも週2時間は必要。もしそれを4時間に増やすのであれば、2時間は今と同じように我々がファシリテーションをする探究の時間、あとの2時間は生徒が何かに没頭する時間として確保してあげたいです。要は余白の時間ですね。


眞鍋

そうですね。彼ら・彼女たちの生活スタイルに大きな変化を求めにくいので、その代わりにこの2時間で探究の大切さや良さを伝えるのが今のミッションかなと思います。


髙木

あとは探究的な学びが他の教科にどんどん絡んでいくのが理想だと思うんですよね。あえて探究の時間を設けなくても、学校生活の中でごく自然にそれができるようになれば、結果として探究という時間はなくなってもいいはずです。ただそれをやるには、通常の教科の授業の中で知識を得て、さらにそれを突き詰める時間までを確保しなきゃいけないし、「成績じゃない部分」も大事になるから、現状では難しいとは思うけど……。

髙木先生はすべての教科に探究的な学びが取り入れられるのが理想だと考えます。


池谷

確かにそのやり方が理想のカタチやけど、なかなか難しいっていうのが率直な思いかな。教科の中でいきなり探究的な時間を設けたとしても、今は探究自体の定義が曖昧だから、別物になってしまう可能性があるし。僕たちは共通言語として『DRIVE』っていうマインドセットがあるけど、どこのどの実践においても、表面的な方法論を真似するだけなのは、むしろ危険。それに生徒にとっても、余白の時間の意味をちゃんと理解していないと、ただ無駄な時間になっちゃう可能性もあるからね。


眞鍋

その点、今の生徒たちは、すでに探究の授業に対してある程度の理解があるし、それぞれに面白さも見出してくれているように思います。なぜかというと、「この子はあまり前向きじゃないのかな?」と思っていた生徒でも、わざわざ家での時間をつかってまで作品を仕上げてくることがあるんですよね。


髙木

うん。あの姿勢は本当に偉い。動画制作のときも、休日とかに家からどこかに出かけて、撮影に行った生徒が多かった。


東野

みんな「学校の授業だから」と割り切った考えでやっているのかな……。「ぜんぜん頑張ってないな」って作品はひとつもないのはすごいですよね。


池谷

写真のコラージュにしろ、動画制作にしろ、やっていくうちに自分の中で「これくらいのクオリティは目指したい」って気持ちが生まれてくるのかもしれないね。もちろんその動機が「学校の授業だから」って生徒もいると思うけど。でもそうではなくて、作品づくりのプロセスの中に、それぞれのやる気スイッチがあったのかもしれない。そういう経験が生徒たちにとって非常に重要なことやと思う。そう考えると学校や先生だけではなくて、各ご家庭、保護者の方々の理解も大切やね。


眞鍋

はい。探究の時間で経験できることが、自分の将来にいかに重要なことかを理解してもらう必要はありますよね。すごく抽象的ですけど、“より幸せになるための学び”なんだってことを知ってほしい。


池谷

そうそう。保護者の方々には「自分の子どもには幸せになってほしい」って思いが必ずあるはず。でも学校に対して求めるのは「個々の幸せについて」ではなくて「いい大学に行くこと」とか「どれだけいい授業を受けられるか」とかになることが多くて。前編でも言ったけど、それが間違っているわけでもないから、ややこしいんやけどね。おそらく保護者の方々は、自分たちも「いい大学に頑張って入って、大きな企業に就職するのが正しい」って言われてきているし、実際にそれも不幸ではない。だから自分が知っている幸せのルートを子どもにも辿らせようとしてしまうんじゃないかな。もちろんそれが「それじゃ絶対に不幸ですよ!」とも言えないけど、その大学進学という選択に本人の意思があるのかどうかが、その先の未来においてとても大切であることは間違いないと思う。


髙木

世代間で比較すると、日本人の価値観も変化してきています。昔は逆境に立ち向かって、なんとしても乗り越えていくのが美徳みたいな思想があったと思うんです。たとえば「会社に入ったら、どんなに辛くても最初の10年は我慢」みたいな。今の世代にそんなことを言ったら、2週間でやめるでしょ(笑)。もちろんそれが正しいとされていた空気感があったことは理解するし、それをやり抜く強さを持った人たちだったってことは当然リスペクトしなくちゃいけないと思うんだけど、そのうえで「本当に同じルートをお子さんにも歩ませたいですか?」ってことを、ちゃんと問うていかないと。


池谷

「今の自分があるのは我慢を乗り越えてきたからだ」って思い込んでいる部分はあるかもしれないね。別の努力やきっかけがあったからこそ、幸せを感じられるようになっているかもしれないのに。もちろん我慢が必要な時もあるし、時代が変わっても変えずにいるべき大切なものもある。でもその一方で、時代や子ども達の環境に応じて、考え直さないといけないことだってあるよね。


髙木

本当にそうですよね。でも、その逆境に耐えてきた人たちが、ただ耐えていただけとは思えないし、無意識のうちに違うところで自分が切り開いてきたことがあるんじゃないかな。また耐える過程の中で、相当に不幸なことがあったかもしれないし、そういう不幸なことへの耐性は、今の子どもたちは持っていないかもしれない。にも関わらず、同じことを強要するのはすごく危険だと思います。


眞鍋

だから生徒たちには、自分がハッピーになる方法を自分で選んでほしいですよね。私はもしも人生をやり直せるとしても、もう一度、いまと同じ人生を選ぶと思います。そう思えるのは、やっぱり私が学校に行きたくないと言ったときに「行かんでええで」って言って、やりたいことをやらせてくれた親がいたから。時には凹むこともあったけど、それさえも今に活きています。そういう「勉強以外の経験をたくさんしてほしい」と考えている保護者の方がどれだけいるのかは気になりますよね。本当の教育のニーズってどこにあるのかのヒントになりそう。

大学時代に1年間の休学と留学を経験した眞鍋先生は、その選択に後悔はないと話します。


髙木

保護者が考える教育のニーズを満たすために、日本の教育が追いかけてきたのは、分かりやすい成功だと思います。つまりは進学ですよね。でも個人の幸せについては「大学に行けば見つかるでしょ?」「社会に出てから見つけてね?」って、“今ではないどこか”で見つける前提になってしまっている。そこが問題で、そんな教育だから「自分のことは自分で面倒をみる」っていう考え方が根付かないままに大人になってしまっているんですよね。


池谷

日本人らしい考え方よね。「みんながそうするから、自分も大学にいく」みたいな。実際は一人ひとり違う考えを持っているのに、共通の価値観だけで物事が進む感じ。


髙木

教科書を開いて話を聞くだけの旧来の授業だと、自分で考えて何かを選択するタイミングはないに等しい。そうなると、自分の能力を活かして他人に貢献するとか、グループの中で自分がどう寄与していくのかを考える機会もなくなってしまっています。そういったこれまでの教育では気づかせてあげられなかった部分を、探究が担っているということを、大人たちが理解しないといけないかなと思います。

個人の幸せについては
“今ではないどこか”で見つける
前提になってしまっている。

Theme3

人生はいつだって仕切り直せる。
そのために大人たちが見せるべき姿とは?


池谷

では本日の最後に、ちょっとタイプの違うテーマを投げかけてみたいと思います。架空のたとえ話だから、率直な議論をしてくださいね。「東大に進学できる学力があるAくんが、進路面談の場で『漫画家になりたいので、専門学校に進みます』と言っている。それに対して、みなさんはどんな言葉をかけますか?」というお題です。意見が割れそうやけど、どうかな?


東野

うわ、それは難しいですね。Aくんは自分がやりたいことを見つけているので、それを実現するには専門学校を勧めるべきなんですけど、学校の教師としてはその判断はできないかも……。


上月

じゃあ、もし教師という立場は捨てて、一個人としてアドバイスをするなら?


東野

であれば、「専門学校に行ったらいい!」って言いますよ。


上月

マジか、すごいな……。僕は個人だとしても「東大に行け」って言ってしまうかな。なぜなら、東大に通いながら、漫画も描けばいいと思うから。そこは別に両立できないこともないですよね。「東大にいってから考えても遅くはないぞ!」って。っていうのも、後々になって「東大に行く選択もあったんだけど……」っていうような人間になるのが一番いやかなって思います。


東野

う〜ん、前提として、Aくんの漫画に対する熱量にもよりますけどね。僕の考えは、前編で上月先生が言っていた「クラブのためだけに学校に行った」っていうのと近くて、それだけの覚悟があれば東大さえも捨てていいと思う。

教師という立場と個人としての立場の間で揺れている現状を正直に話す東野先生。


上月

そうですね。我々教師って生徒に対して「あとあと後悔しないように」っていう気持ちで話すことが多いと思います。だから本当にキラキラと輝いた目で「すべてを捨てて、この1本でいきます」っていう生徒には、それがどんなことだろうと「それ、いいやん!」って言ってあげたい。ただそれほど一生懸命でもないのに、割と簡単に選択肢を捨てようとする子には、そうはいかないですけどね。


池谷

まあ架空のAくんだから判断がつきにくいところはあるよね。ちなみに僕は漫画の道を進んでほしい。


眞鍋

うん。夢を追った方がいいと思う。個人的に、大学を休学してアートを学んだことは、当時は反対されたけどまったく後悔していなくて。茨の道だと思うけど、大学はいつでもいいからさ。


髙木

ここで大事なのは、東大に進んでも漫画が描けるし、漫画の道に進んでからでも東大に行けるっていう、両方の未来があるってことだと思います。だからここで決める進路が一生モノの選択ではないってことを強く伝えてあげたいかな。人生はいつだって仕切り直せるって思わせてあげたい。後悔したらやり直せばいいだけなんだから。


上月

そうですね。先生が何を伝えるかってやっぱりめっちゃ大事ですね。今こうやってみなさんと議論して、熱いテンションのまま進路指導したら、ヤバいことを言ってしまいそう(笑)

生徒たちと真正面からぶつかる上月先生。自身の“進路論”にも熱が入ります。


池谷

僕は学生時代に、「自分の好きなことを仕事にするのは、とても難しいことで、一握りの人しかできない」ってよく言われてて。さらに「夢はつかめるかもしれないし、つかめないかもしれない。だから勉強をして、大学に行き、選択肢を増やしておこう」って説得されてました。これって子を持つ親としては極々スタンダードな考え方でしょ? でもそうじゃなくて、これからは「あなたが見つけた好きなことを活かせば、こういう道にもいけるし、また別のこういう道だっていけるよ」っていうのを基本にしたい。だってそうならないと社会の幸せ度合いはずっと上がらへんから。そのためにも我々大人が、ちゃんとやりたいことを仕事にできているし、誇りや楽しさを感じているって姿を見せないとあかんと思う。そうしないと「我慢して、厳しい環境を勝ち抜いてきた結果としてはじめて掴める幸せ」って価値観からいつまでも抜け出せないからさ。だから僕たちが今できるのは、探究的な学びを通して、そういうことに気づいてもらう時間をつくることだと感じてる。そのことを探究に打ち込んでいる生徒の姿を見たり、こうやって先生同士で対話をしたりする中で再認識できたかな。


髙木

さすが主任! めっちゃいい感じに締めましたね(笑)


眞鍋

次は、この5名以外から話すテーマを募集したいですよね。教員からでも、生徒からでも、もちろん保護者の方からも!


池谷

うん。それもいいかもね。じゃあひとまず今回はここまで。お疲れさまでした!

東大に進んでも漫画が描けるし、
漫画の道に進んでからでも東大に行ける
っていう、両方の未来がある

RANKING

  • WEEKLY
  • MONTHLY