校長ブログ

校長 木内 淳詞 Junji Kiuchi

2022.09.08

中学54期(現中3)対象校長による道徳授業

 以前に私が特設の道徳授業をさせてもらった中3の生徒たちを対象にして、道徳授業Ⅱの時間をいただきました。
 前の授業では、道徳は本来人それぞれに持っていたり、主張があったりするものなので、押し付けたり押し付けられたりするものではないと話しました。だから、誰かが考えてくれるからいいのではなく、あなた方ひとり一人が考えなければならない問題なのだと。
 ただ、あまりにも相対化しすぎると、今度はひとり一人が好き勝手にふるまってもいいという、あらぬ方向へ行ってしまうことがあるので、さて、どうしよう、というのが今回の授業のテーマでした。
 まずは、道徳とかルールとかは誰が決めているのか? そう質問すると、鋭い答えがいくつか返ってきました。自分が決めているつもりでも誰かが決めている、権力を持った人が決めている等々。さらには、自分がこうしたいとか、これが欲しいとか、その欲望は誰が決めているのか? これに対しても私が感心するような答えが。私からは、自分が決めているようで誰かに決めてもらっていることがよくあるということに気づくことが大切だと話しました。こうあるべき、と多数派に決められていないか、自分が欲しいと思うものが実は他の多くの人が欲しているからという理由で欲しがっているのではないか? 中3の生徒に対しては少し難しい問いかけをしました。
 そして、最後に始業式で話した『友だち幻想』のこと。「フィーリング共有関係」と「ルール関係」について。これまでの学校は「フィーリング共有関係」を重視しすぎたために、それぞれの生徒の自由や幸せを大切にしきれなかったかもしれない。それぞれの生徒が自由に、幸せに過ごすために、これだけは大切にしようという「ルール」に基いて関係を築いていくことを考えよう。そのルールこそが道徳ではないだろうか。だから、そのルールもひとり一人がよく考えていかねばならない、というのが締めくくりです。みんな仲良しでなくてもいい。「愛せない場合は通り過ぎよ」というニーチェの言葉も紹介しました。さて、生徒たちはどんなことを考えてくれたでしょう。