校長ブログ

校長 木内 淳詞 Junji Kiuchi

2020.07.11

来年度の「探究旅行」説明会

 午後からは、来年度、高2段階における修学旅行改め「探究旅行」についての説明会を、保護者の皆さま対象に実施いたしました。梅雨の最中にも関わらず、たくさんの方々にご参加いただきました。説明会の後は、クラスに分かれて、クラス懇談も開催いたしました。
 説明会の冒頭に、私の方からご挨拶をいたしました。以下は、その概要です。

 本日は梅雨の最中、直接学校まで起こしいただき、ありがとうございます。この後、各クラスにおける懇談会も予定されておりますが、まずは全体でお集まりいただき、次年度よりスタートする、修学旅行改め「探究旅行」について、話をさせていただきます。
 もともと本校の修学旅行は、生活指導の一環として、生徒の代表者がルールを決め、学年集団をリードしながら進めていくというスタイルをとっておりました。行先は今年度に至るまでずっと北海道であり、学年の生徒全体に同じような経験をさせるというということも大切にしてきました。しかしながら、時代も変わり、学校として修学旅行に求める意義も変化してきています。以前の学校では「目的」とされてきたことが、今の学校では何かもっと大きな目的を達成するための「手段」という位置づけにかわってきています。たとえば、誤解を恐れずに言うならば、大学進学は高校としての目的ではなく、一つの手段であり、大学に進学する、大学で学ぶことを通して何を実現させるのか、そのことこそが目的となっています。もちろん、私たちの究極の目的は、教育理念に示されている「独立自彊・社会有為」を体現する人物の育成、ということになります。近年の修学旅行は「体験」重視型で、体験の内容も生徒に選んでもらう形をとってまいりましたが、学校での学びと修学旅行の内容をさらに密接につなげたいということで、次年度からは「探究旅行」という名前にし、学校内だけでは完結しない探究の取り組みを、「探究旅行」において行いたいと考えております。
 探究は今までの学びよりも「さらに深掘りし、越境する」ことにより、一つの経験や断片的な知識を他の経験や知識とつなげ、総合知を獲得していくプロセスであり、リベラルアーツを身につけていくための手段でもあります。リベラルアーツは自由になる技術という意味があります。私たち大人は近代的な考え方に縛られていて、様々な課題に対して「正解」を求めてしまいます。すぐに正解を思いつかなければ「わかりません」と答え、「わかる人、いますか?」と問われても、間違っていたら恥ずかしいので手を挙げる人はごく少数です。これも正解主義という近代の考え方に縛られて自由ではない状態にあるということなのです。近代のフレームワークから脱して次の時代を生きていく力を身につけることも探究の学びの大きな意義であると言えます。
 さて、以上のことから、本校の修学旅行も探究旅行という形に大きく変化していきます。私たちもまだ完成形を描き切れているわけではなく、過渡期の状況ではありますが、本校の、また日本の学びを大きく変えるものとして、今日は来年度にスタートする探究旅行についてお話しいたします。今しばらくお付き合いいただき、探究旅行に対する理解を深めていただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

 私の挨拶の後、探究科主任の池谷先生から、今年度の取り組み内容が話され、生徒がどんなことに気づいてどんな振り返りをしているのかが紹介されました。探究の取り組みで驚くべきことは、生徒がやすやすと先生を越えていってしまうことです。私たち教員が気づかなかったことに気づき、さらにその気づきを足掛かりにして発想を膨らませる。会が終わった後には、保護者の方から、「生徒の振り返りの言葉を見て鳥肌が立ちました。私も高校の時にこういう教育を受けていたなら、と考えてしまいました」とお声かけいただきました。次年度からの「探究旅行」、今から楽しみですね。