東京インターナショナルスクール 理事長 / 国際バカロレア日本大使 坪谷ニュウエル郁子

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INTERVIEW

2021.09.02UP

違いを尊重し、好きなことや得意なことを認め、伸ばせる教育のために。(前編)

PROFILE

坪谷ニュウエル郁子

東京インターナショナルスクール 理事長 / 国際バカロレア日本大使

神奈川県茅ケ崎市出身。イリノイ州立西イリノイ大学修了、早稲田大学卒。
1985年イングリッシュスタジオ(現東京インターナショナルスクールグループ)設立、代表取締役就任、1995年東京インターナショナルスクールを設立。理事長就任。同校は国際バカロレアの認定校。
その経験が評価され、2012年、国際バカロレア(IB) 日本大使に就任。文部科学省とともに、教育の国際化の切り札となる国際バカロレアの普及に取り組んでいる。

INTERVIEWER

池谷陽平

探究科 Driver

Theme1

勉強ができなくても、長所はある。
誰もやらないなら、私がその教育を。

大学進学時にアメリカに渡り、その後、若くしてアメリカ起業していた坪谷さんが、日本に戻ってきて教育に関わる事業をスタートさせたのが今から36年前となる1985年。それにはきっかけになるような出来事や原体験があったんですか?

大きく2つあります。1つ目は小学校の時。私は割と成績がよくて、学級委員をやっていたんですけど、クラスにはあまり勉強が得意ではないSさんっていう女の子がいて、先生からその子に算数を教えるようにお願いされました。だから放課後に学校に残って、Sさんに算数などを教えていたんです。そうやって2人で一緒に過ごしているうちに分かったことがありました。それは、Sさんは確かにかけ算とか学校の勉強は苦手でしたが、編み物がとっても上手だということ。

なるほど。そこにSさんの長所があったんですね。

そうなんです。手先がすごく器用で、かつ、忍耐強い。そうじゃないとあんなに上手に編み物はできません。それを知った時に、漠然と「それぞれの長所をきちんと見抜いて、それを活かせれば、誰だって自分の得意なことで社会の役に立てるんだ」と思ったんです。でもそういう教育って日本にもアメリカにもなくて。

「勉強ができる」ということだけが突出して尊ばれている社会ですよね。

その通りです。でも勉強はできなくても、例えば気持ちの優しい子もいるし、力の強い子もいる。好きなことや得意なことは、100人いれば100人それぞれに違います。そこから子どもたちがそれぞれに持っている長所を、いかに伸ばしていけるかということを考えだしました。例えばさっきのSさんが編み物の専門家になったとする。もしくはモノづくりが好きだった子どもが、大工さんになったとする。それって素晴らしいことなのに、日本の学校や社会では、そんなことよりいい大学に入ることが、すべての子どもの目標になりがちですよね? また子どもたちの中には、その学部の分野にまったく興味がなくても、有名大学だという理由で入学することもある。それはやっぱりおかしいなと感じます。

僕が学校で教えていても、そういう考え方で大学を選ぶ生徒はたくさんいますね。

自分に合っている仕事に就いているのであれば、どんな職業だろうと絶対に上下はないはずですよね? でも日本だと、例えば道路工事をやっている人を少し下に見たりする人もいる。それってすごく歪な社会と言えると思います。

坪谷氏は、とても元気で、その発言は常にオチャメ。取材現場を自ら盛り上げます。

『IB』の教育方針に共感する池谷先生は、坪谷氏の発言のすべてに興味津々です。

そういった社会の歪さは、坪谷さんがいたアメリカでも見られましたか?

アメリカもけっこう同じですね。でもヨーロッパやオーストラリアはちょっと違いました。アメリカだと、さっきも言った道路工事に従事するようなブルーカラーの仕事は、ほとんど黒人やラテン系がやっていると思います。でもオーストラリアでは、その仕事を白人がやっていることもあって、私はそれを見た時に、思わず声をかけてしまうまでに驚きました。するとその方は自分の仕事にすごく誇りを持っているということを話してくれたんです。ブルーカラーやホワイトカラーに関係なく自分の仕事に誇りを持っているということは素晴らしいと感じましたね。

確かに日本でもそういう考え方はあまりないかも……。

そうですよね。オーストラリアはヨーロッパの価値観に近いと思うんです。みんなそれぞれに違いを尊重していて、勉強が得意な人もいるし、スポーツが得意な人もいる。すごく優しくて人の話を聞くのが得意な人もいる。そうやってみんな違うということを前提に社会ができ上がっています。だから例えば、工房で働く作業服を着たような職人さんが、マーケティングの専門家などを雇うことで、グッチやエルメスのような世界的なブランドになっていくこともあるんです。

あ、なるほど。

そういう意味では日本が目指すとすれば、どちらかというとヨーロッパ型の社会だと思います。その方が成熟した社会である日本には合うはず。でも日本はアメリカに代表される競争社会を目指して成長してきてしまった。その結果として、息苦しくなってしまったんですよね。アメリカという国は、歴史が比較的浅くて若い国だから、日本の戦国時代みたいな価値観の中にいるんだと思います。だから競争社会の中で、1人の成功者と99人のそうじゃない人をつくり出してしまう、つまり格差社会の構造なんです。

その結果として、経済格差も広がってしまう。確かに日本にも同じような問題が見られますね。

そうなんです。やはり日本でもアメリカでも、成功してお金持ちになることを評価する風潮がありますよね。でもそれよりもっと大事なことは、自分に合った生き方を通じて、社会の役に立つこと。そして、自分自身も生きがいのある人生を送ることじゃないかと思います。そういった偏った成功のあり方がどこから来ているかっていうと、学校教育や保護者の価値観から来てる部分が大きいわけです。だから小学校の時のSさんとの出会いをきっかけに、そういった状況を変えたいなっていう思いがあって教育に携わることにしました。

編み物が得意なSさんとの出会いからつながって、そんなところまで! すごいなぁ……。じゃあもう1つのきっかけは?

それは、私には20歳も年の離れた従兄弟がいて、私が高校生の時、そのお兄さんに2人目の子どもが産まれたんですけど、その子は障がいを持っていました。耳も聞こえないし、目も見えない。立つことも話すこともできません。

それはかなり重度ですね……。

そう。その子ができることは、舌を出して、首を振ることくらい。そしてお正月に親戚が集まった時に、私はその子を見ながら「この子はなぜ産まれたんだろう」っていう素朴な疑問が浮かんで、その後もずっとそれを考えていました。

その疑問に対する答えは出たんですか?

はい、出ました。また別のタイミングで親戚が集まっている時、さまざまな家族がある中で、その障がいを持った子どもがいる従兄弟の家族は、他と比べて、圧倒的に家族間の絆が深いということに気づいたんです。というのも、耳も聞こえなければ、目も見えないその子が、首を振って舌を動かすだけで、家族みんなが意思疎通できていて。「あ、喉が渇いたんだね」とか「背中が痒いんだね、ちょっと待って」とか。それに私はびっくりしましたね。最終的にその子のお姉さんは、大学院で福祉関係の勉強をして、そのまま現在も福祉の仕事に就いています。そのお姉さんは、妹であるあの子がいなければ、自分の天職に巡り会えなかったと話していますよ。

なるほど。障がいを持つ妹さんが生まれてきたことに大きな意味があることがよく分かりますね。

そうですね。つまりその子は社会における一番小さな単位、つまり家族の絆を強めるために産まれたんだと気づいたんです。そこから人間は絶対に何らかの目的を持って産まれてくるし、それぞれに光る部分があるということを学びました。そのことが、私の頭の中にずっと残っていたんです。

それって学校でも教えるべき、すごく大切な考え方ですよね。

私もそう思います。人間としての基本の部分ですから。でも私は小さな頃から「頭がいい」と言われて、受験もして、勉強ができる人だけが集まるような学校に行って、さらにアメリカの学校にも行ったけど、当然ながら学校ではそんなことを教えてくれません。そこから「じゃあ私が教えよう!」と思い、鉛筆をなめなめしながら(笑)自分でプログラムをつくり出したんですよ。

人間は絶対に目的を持って、
産まれてくるし、
それぞれに光る部分がある。

Theme2

「義務教育」の壁から、外国籍を対象に。
しかしそこには深い悩みがあった。

そうやって教育に携わることとなり、どのように実際の授業をスタートさせたんですか?

最初はたまたま出会った“ほったて小屋”みたいなところを借りて、そこに住みながら、私ひとりが教えるカタチで、1週間に1〜2回だけ生徒が来る英語で教える塾のようなことを始めたんです。するとバブルだったこともあって、生徒はどんどんと増えていきました。

実際のプログラムはどういったものだったんですか?

今の言葉で説明するなら、池谷先生たちがやっている「探究」に近いものだったと思います。当然、当時はそんな概念はまったく知られていませんでしたけどね。例えば小さな学年の子であれば「空はなぜ青いの?」という疑問を投げかけたり、もう少し学年が上がると「原爆によって戦争を終わらすことができたという主張に対して、どう思うか」といった問いを出したり。そこからそれぞれにリサーチをして、プレゼンをする、みたいな内容でしたね。

それってまさに日本の学校が取り入れ始めている教育方法ですね。

でもそれよりは、もっとプリミティブっていうか、とにかく私自身が「こういうことを教えたい」って思うことをやっていただけだったんです。だから保護者にはまったく理解してもらえなくて。例えば「自分たちは1週間にどれくらいのゴミを出すのか」を調べて、その重さを測り、家族の人数を計算して、次には居住地の人口と都道府県の人口、最終的には1年間に日本で家庭から出るゴミの量を計算して、そこから何を考えるかっていうプログラムなどをやっていました。

へ〜、それ、すごくいい内容ですね!

でもその時に、保護者から「うちの子が家のゴミばっかり集めてる!」って怒られるようなこともありました(笑)。やはり保護者には「英検で何級とれるの?」とか「どれくらいのレベルの英語の読み書きができるの?」ということを求められる傾向が見られましたね。

その意識のズレって、おそらく『IB(International Baccalaureate=国際バカロレア)』でも言えることですよね?

その通りです。「IBの学校で勉強をすると、英語がペラペラになれる」っていう印象を持たれて、その部分ばかりがフォーカスされてきたとも言えます。しかしそれはIBの本質とはぜんぜん違っていて、本当は母国語、つまり日本なら日本語で学んだ方がIBの概念の習熟度ははるかに高まるのは当然ですよね。でもそこは未だになかなか理解されません。英語を打ち出した方が、生徒が集まるのが現実だからだと感じています。

鮮やかなカラーリングが映えるワンピースで登場した坪谷氏。
一方の池谷先生は、全身をブラックで包んだシックな装いです。

そうやって始めた学習塾みたいなものが、今のインターナショナルスクールの起源になっているってことですよね。外国籍を持った子どもたちを対象としたのには理由があるんですか?

それには実はあまり大きな理由はなくて、日本国籍の子どもを持つ保護者には、小学校と中学校で国が定めた学習指導要領に従った教育を受けさせないといけないという義務があって、法の遵守は国民として当たり前のことだから、そうせざるを得なかったというだけの話なんです。

いわゆる「義務教育」ですね。

そうですね。それを私は後から知ったんです。ほんと、行き当たりばったりの人生ですね(笑)。そういう理由で、私がやっている教育では、国民としての義務を遂行しているとは言えません。高校だったらいいんですけどね。その結果、日本以外の国籍を持っている子どもしか対象にできなかったんです。理由はそれだけ。

そういう理由が……。はじめて知りました。

ぜんぜんかっこいい理由じゃないですよね(笑)。だから私って成り行き人生なんです。後からもっと冷静に考えるべきだった思うこともよくあるんですよ。

学校で行われる「Inquiry(=探究)」のプログラムが、廊下に張り出されています。

そうやって外国籍の子どもたちと学ぶ中で、難しいと感じたことはありますか?

それはたくさんあります。今うちの学校では70カ国くらいの子どもたちがいて、外から見た人たちは「多様性があって素晴らしいですね」とか「我々の自治体にもこんな学校をつくりたい」といった評価をしてくださるんですけど、ここに通う生徒たちには、私たちには想像がつかないような深い悩みがあるんです。

それって例えばどういったことですか?

生徒のほとんどは外国籍の駐在員の子どもになります。そうなると、彼ら・彼女たちの日本の滞在期間は平均して3〜4年。その後はどこの国に引っ越すかまったく分からない。だからあの子たちには“故郷”なんてありません。そのように、3〜4年の周期で世界中を回っている子どもたちがたくさんいるんです。

それは思った以上に辛いでしょうね。

そう。自分がどこに属しているかが分からないわけですから。この前も小学3年生の生徒と話していたんですけど、彼が一番きらいな質問は「Where are you from?」っていうことなんだそうです。彼のお母さんはオーストラリア人で、お父さんはイギリス人。見た目は完全に白人なんです。でも東京に来る前にいたのはベトナムで、一番仲がいい友達もベトナムにいる。だからその質問に対して「ベトナム」と答えたら、容姿から嘘をついていると言われたと、とても悲しがっていました。

なるほど。そういう状況って、言われてみないと想像もつきませんね。

そうですよね。その結果、彼らは「根のない子ども」なんて言われている状況にあるわけです。でも生きていく上で、その“根”の部分がとても大事だと私は思っています。だから彼らが言う「We belong to “Mother Earth”」っていう言葉は、広告のキャッチコピーみたいでかっこよく聞こえるかもしれませんが、そうではなくて、そう言わざるを得ないだけなんですよね。それってやはりすごく辛いことなのかもしれません。 

ここに通う生徒たちには、
想像がつかないような
深い悩みがある。

Theme3

せめて小学校は日本の学校に行くべき。
夢を見させる発言はしない。

確かに外部の人が言うように、インターナショナルスクールには多様性があって、ここにいるのは国籍や民族、宗教が本当にバラバラな子どもたちですが、実は経済的な格差はあまりありません。なぜなら保護者の方々は基本的にみんな裕福だから。

確かにそうでしょうね。

でも一般的な日本の学校においては、経済格差がけっこうありますよね? それに自分の親が高学歴がどうかで、子どもに与えられる教育の環境って変わってくることも真実だと思います。だからインターナショナルスクールでなくても、もともと多様性ってあるはずで、その中で一番身近にあるのが、経済的なバックグラウンド、そして社会的なバックグラウンドの違いです。民族だ、宗教だっていう前に、そこに違いがあって、それぞれの立場で、それぞれに正しいことがあるってことに気づくべきだと思います。

それは僕が学校で教えていても感じます。同じ日本に住んでいる、同じ国籍を持った生徒たちだって、それぞれのバックグラウンドはぜんぜん違うのに、それを「勉強ができるかどうか」みたいな単一の尺度で測ってしまうことで、その違いを見えなくしてしまっている現状がありますね。「それぞれに違う」ということをしっかりと受け止めるだけで、子どもたちはいい方向に変わっていくはずです。みんな感受性が豊かなので。

そうですよね。私も同じ感覚を持っていて、そこから「経済格差を教育格差にしてはいけない」っていうライフワークとも言える使命を持つようになりました。この経済格差が生まれた理由は、さっきも言ったとおり、やはり日本がアメリカ型の社会を目指してしまったことが大きく関係しているのかもしれません。そうではない社会をつくるために、どんな種を植えればいいのか、それをずっと考えてやってきました。

やはりアメリカにも良い面と悪い面、両方ありますよね。

そう思います。でもやはりみんながアメリカを目指してしまう。私も若い頃はそうでした。「アメリカ、かっこいい!」「自由の国!」と感じて、向こうに渡ったわけです。実際に今でも「子どもをインターナショナルスクールに通わせたい」って思っている日本の保護者はたくさんいて、そういう人からは「世界のどこでも生きていける子どもにしたい」なんて言われますが、私は日本人なら、せめて小学校は日本の学校に行くべきだと思っているんですよ。

あ、そうなんですか?

少なくとも小学校は絶対にそうですね。やはり日本の義務教育を受けていれば、その後に他の国の教育を受けたとしても、逆に何も受けなかったとしても、日本の基礎知識が身に付きます。そして国籍を持っているということは、働いていようがそうでなかろうがその国に住めて、日本に住むことができるっていうこと。つまりその国の社会保障と社会福祉が受けられることを意味します。これって本当に大事なことなんですよね。

なるほど。

でも国籍はあっても、日本の基礎知識を持っていない人が「日本みたいな社会で生きたくない!」「自由がなくて、縛られた国だ!」「女性蔑視がひどいから住みたくない!」などと感じて、いざ他の国に住みたいと思っても、住むための在留資格が必要だったり、国籍を新たにとったりしなくてはいけません。それに仕事がなければいけないといった制約も受けます。

僕も教師をやっていると、同じような声をよく聞きます。もちろん海外留学をして、日本よりもその国の方が合っていると感じられたのであれば、それは幸せなことだと思います。でも僕自身は、日本で育って、日本が好きだし、日本が住みやすい国であってほしい。教育においても、日本人のためにどう言ったことを教えるのが良いのかを考えていきたいですね。

展示されているのは生徒たちの作品。正解がない世界で、それぞれの個性が光ります。

あと実際にアメリカに留学したことがある保護者の方が「アメリカはすごくいい国だ」って言うことがありますが、そう感じる理由のほとんどが、「学生だったから」っていうことを理解しないといけません。なぜなら学生ということは、向こうからしたら外貨を獲得するためのお客さんだから、いい思いができて当然なんです。でも仕事をするってなると状況は大きく変わってきますよね。

アメリカで就職するのは、日本より数段難しいですよね。

その通りです。日本みたいに真っ白な状態で新卒採用をしてくれる国なんて、ほとんどありません。海外の就職戦線はもっと厳しいもの。「私には10年のキャリアがあって、こういうプロジェクトを立ち上げて、これだけの成果を出して……」みたいな実績を持っている人たちと、たった1つの席を争うわけですから。

そうなると、勝ち目ないですよね……。

それに日本人を雇うってことは、ワーキングビザを出すための保証会社にもならないといけないので、そのリスクもあります。そんな日本人をわざわざ雇うかという話ですよね。もちろん「うちの子を就職させてくれるなら、1億円を寄付します」とか「日本のクライアントをたくさん紹介します」といったお父さんがいるのであれば、新卒でも雇ってくれるかもしれない。でもそんな人って全体の1%くらいだと思います。 

う〜ん、1%もいないかもしれない。

あと日本ってどこに住んでも割と安全ですよね? でもアメリカはそうではありません。ある程度いい場所に住まないと、治安がすごく悪いし、ドラッグなんかも当たり前のように横行してる。でも治安がいい場所って家賃が高いんです。だから留学させるにしても、安全な場所に住ませるのにはかなりの家賃が必要。1年間に何百万もの学費を払って、さらにそれだけの家賃を出せるとなると、確かに1%すらいないですよね。

そうなった場合に、奨学金も難しいですか?

確かにその方法を考えている保護者もいます。でも成績的にかなり優秀じゃないと、初年度から海外の奨学金を得るのは難しいということもあり、それだけを頼りにするのはリスクが高いと言えるでしょう。だから私は簡単に夢を見させるようなことは言いたくないし、いたずらに期待感を煽るような発言はしません。

なるほど。坪谷さんがそういう意見を持っているっていうことは、ちょっと意外でした。

やはり大金持ちじゃない一般の人に夢を語って、結果的に子どもが「アメリカに留学して、夢を叶えたいのに、お父さんがお金を出してくれない!」なんて言い出したら、一番大切な社会の単位である家族も崩しかねないわけですから。私は留学を勧めるようなテーマでメディアの取材を受けても、正直にそういうことを言ってしまうから、すごく嫌がられます(笑)。でも本当にそうなんです。36年も教育に携わって、たくさんの事例を見てきましたからね。

経済格差を教育格差にしない
というライフワークとも言える
使命を持つようになった。

後編はコチラ

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