一般社団法人 未来の先生フォーラム 代表理事 宮田純也

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INTERVIEW

2023.08.15UP

社会への疑問。組織への違和感。そこから教育の新しいカタチを求めて。(前編)

PROFILE

宮田純也

一般社団法人 未来の先生フォーラム 代表理事

早稲田大学高等学院、早稲田大学教育学部 教育学科 教育学専攻 教育学専修卒業、早稲田大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。 
日本で初めてオルタナティブスクールの設立と運営に関する調査を行い、修士号を取得。2日間で延べ約3000人が参加する日本最大級の教育イベント”未来の先生フォーラム”創設や2億7千百万円の奨学金設立など、様々な教育に関する企画や新規事業を実施。
株式会社未来の学校教育 代表取締役、武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員などを務める。
編著に『SCHOOL SHIFT』(明治図書出版)、監修に『16歳からのライフ・シフト』(東洋経済新報社)

INTERVIEWER

池谷陽平

探究科 Driver

Theme1

現場の先生たちの取り組みを、
広げるメディアとして。

8月19日・20日に迫った『未来の先生フォーラム』。今年はついにリアル開催となります。登壇者や協賛もぞくぞくと増えていっているようで、とても楽しみですね。

そうですね。昨年は池谷先生にも「招待講演」というカタチで出演いただき、ありがとうございました。あの後、反響などはありましたか?

はい。個別でメールをもらうことも増えて「追手門での探究はどのようなことをやっていますか?」といった問い合わせもたくさんいただきました。日本ではあれだけ大規模な教育イベントってあまりないし、貴重な機会でしたね。とはいえまだまだ関西では知らない先生や保護者の方もいると思いますので、うちの学校の先生や生徒も含めて周知していきたいと思っております。登壇者の人選やアサインといったイベントの準備に関しては、宮田さんがすべてやっているんですか?

企画は基本的に私ひとりですが、運営業務は数名で担当しています。

でもスタッフさんがいるとしても、あれだけの人を集めてイベントを行うのは大変ですよね?

はい。毎回、死にそうです(笑)。もちろん他の仕事もありますし、特に今年は同じタイミングで明治図書出版から出した『SCHOOL SHIFT』、そして東洋経済新報社から出た『16歳からのライフ・シフト』という2冊の本も書いていたので。

「死にそう」と笑う宮田氏。今年はイベントと本の執筆で奔走する毎日とのこと。

お相手となる池谷先生は、昨年の『未来の先生フォーラム』にオンラインで出演しました。

イベントには本当にたくさんの先生たちが登壇されていますが、どのようにアンテナを貼って、先生たちを集めているんですか?

基本的には雑誌や書籍、WEBメディアなどを見ながら、軸となるコンセプトに当てはまる人を探して、お声がけさせていただくカタチですね。ただそれをやっているうちに、似たような教育観を持った人たちの方から「私も出たい!」って手を上げてくれるようになりました。だから途中から私たちは「この指、とまれー!」ってやっているだけです。

その広がりがすごかったと。

そうなんですよね。同じ価値観を共有する人がどんどん出てきてくれて。セレンディピティ的なところもあるので、そういった人にも門戸を開きたいと思っています。

過去にリアル開催された際の様子。非常に多くの人が集まっていることがわかります。

やはり先生たちが本当にいい取り組みをやっていたとしても、教室でやっているだけでは広がっていきません。それを世間に伝えて広げるのがメディアの役割。我々もイベントというカタチをしたひとつのメディアだと思っているので、そこは担っていきたいですね。

そう思います。世の中に学校の先生を対象とした研修はたくさんあって、そういったものに敏感だったり、個々に情報発信力を持っていたりする先生たちもいれば、そうではなくて自分の学校の中だけで一生懸命にやっている先生もいます。『未来の先生フォーラム』は、この数年オンライン開催だったこともあり、学校の中で頑張っている先生たちにもリーチできるイベントだと感じました。宮田さん的にも広がっている実感があるんじゃないですか?

それがね、僕はあまりないんですよ(笑)。やっぱりずっとオンラインだったっていうこともあって、まだ実際に会ったことのない先生もたくさんいるんでね。

本当にいい取り組みも
教室でやっているだけでは
広がっていかない。

Theme2

衝撃から興味へ。
社会の冷たさを知った高校での体験。

イベントの話もさることながら、今日はまず宮田さんが、どのような幼少期を過ごし、その後、どのような経緯を経て今に至っているのかを聞いていきたいと思っています。そもそも教育にはずっと興味がありましたか?

そうですね。大学も教育学部だったし、就職は教育とは関係のない一般の企業でしたが、その後に入学した大学院でも、教育をテーマに研究を進めていました。

教育に意識を向けるきっかけはあるんですか?

ひとつ挙げるとしたら、中学の時に先生が亡くなったんです。その体験がけっこう衝撃的で。

それは担任の先生ですか?

いえ、僕は当時サッカー部に所属していて、その顧問の先生でした。本当に厳しい人で、はっきり言って“専制君主”みたいな言動をする人だった(笑)。でも同時に優しいところもあって、人望があったのか、お葬式には本当にたくさんの人が来ていました。おそらく地元でいちばん大きいであろう式場に、ズラッと人が並んでいて。

とても慕われていたんですね。

そうなんです。その行列を見ながら「先生ってすごい仕事なんだな」と感じたことを覚えています。実は後日談があって、その先生はガンを患っていて、余命宣告をされていたそうです。言われてみると、ずっと身体がダルそうだったし、普通の人よりヨタヨタと歩く感じでした。その雰囲気が余計に怖く感じていたんですけどね。

すべてがガンの影響だったと。

はい。当時のサッカー部は朝練をやっていて、僕たち部員がどれだけ早く着いても、絶対にその先生は学校にいたんです。これも後から聞いたんですけど、ガンと分かってから、車中泊で学校に寝泊まりしていたようで。それくらい情熱があって、言わば“狂気じみた”ところすらある人でした。

高校時代の企業体験に大きなインパクトを受けたと話す宮田氏。
池谷先生は探究の授業を通して社会との接点をつくり出します。

高校時代はどんな学生でしたか?

まず中学の時に、現在オックスフォード大学で教えている苅谷剛彦先生の教育社会学に関する本に出会いました。そこには格差や出身階層の話、また受験などについて書いてあったと思います。決して裕福ではない家に育った僕は、その本の内容に影響を受けて、できるだけ上のレベルの大学に行った方がいいと感じ、できれば大学受験もしない方がいいと思って、慶応と早稲田の附属を受けました。

結果的には早稲田の附属でしたよね。

そうです。入ってみると、自分より勉強ができる人も、サッカーができる人もたくさんいて、アイデンティティを失いましたね。僕は千葉県の田舎出身なので、都会にも飲まれた感じで、「自分って、いったいなに?」みたいな。そんな中で、内部生は特に受験もなく、することがないので、アルバイトでお金を貯めて、長期休みになると一人でフラっと海外へ行ってました。もちろん今ほど情報通信的なインフラが発達していないので、本当に一人っきり。それが最高に楽しかったんです。

それはいい経験ですね。

あと高校時代には『起業プログラム』というものに参加しました。これがけっこう印象的でしたね。

高校生が? 擬似的に起業するということですか!?

そうなんです。僕たちはその時に流行っていた『R25』のマネをして、高校生向けのフリーペーパーを発行する模擬会社をつくりました。僕は営業で、友人が社長、あとは編集もいます。それを朝日新聞とコンサルティング企業のトーマツの支援を受けてやるっていう。

すごい! それは上手くいったんですか?

いや、当たり前といえば当たり前ですが、誰もまったく上手くいかなくて(笑)。社会の冷たさを感じましたね。公衆電話から営業の電話をかけるんですが、まったく取り合ってくれない。そのうち会社の運営資金が底をつきそうになるし、チームの雰囲気も悪くなって、ケンカをしたり、不登校になるやつがいたり……。

最悪の状況に陥ったと。

そうなんです。ある時、あまりに上手く行かないから、やり方を変えました。まず早稲田附属はいちおう名門校なので、生徒の親の収入も高い人がいるだろうと仮説を立てます。そして「親が社長の友達を探すんだ!」とか言って探してみると、予想どおり名だたる企業の社長が保護者にいて。そこから少し上手くいくようになりました。そんな経験をしながら「仕事というのはこういうことなんだ」って痛感したんですよね。努力や思考、行動の積み重ねなんだって。まさに“オーセンティック”な学びでした。

社会のリズムが分かってくる感じですね。

だから池谷先生たちが取り組んでいる探究のプログラムも、すごく意味があると思いますよ。社会の冷たい部分も温かい部分も両方を感じながら、自分なりの関わり方を知れるわけで。人間ってそうやって大切なことを学んでいくと思います。

ありがとうございます。そして大学はエスカレートで早稲田ですよね? そこではどんな学生生活を送っていましたか?

先ほどお伝えした通り、教育学部で、教育関係のNPOへも参加しました。途中から代表になって、1桁だった会員を3桁に増やすなど、精力的に活動していたと思います。

探究のプログラムは、
社会の冷たい部分も温かい部分も
両方を感じながら、関わり方を知れる。

Theme3

研究の先に見出した
新しいCommunity of Practiceの発想。

就職は教育関係ではない一般の企業にとうかがいました。

はい。いくつか大手企業から内定をもらう中で、ひとつの会社を選んだんですが、その選択が完全にミスでした。一般的な大学生の印象としては、周りに自慢できるようなかっこいい就職先かもしれませんが、僕は入ってすぐに「辞めたい」と思っていましたね。

宮田さんには合わなかったってことですか?

そうなんです。東京駅のすぐ横の高層ビルが職場だったんですが、出社のためにエレベーターに乗るのもイヤで。新入社員のくせに、文句ばっかり言ってました。ほんと、最悪な社員だったと思いますよ(笑)

宮田さん的には強い違和感があったんでしょうね。

そうですね。ちょうどその頃に、今年の『未来の先生フォーラム』にも参加してくださるリンダ・グラットン先生の『ワークシフト』という本に出会い、感銘を受けます。そこに書かれていたのは、より良い働き方の話や、個々に専門性が必要であるといったこと。僕は「自分の専門性って……何?」とか思いながら、辞めたいな、でも辞めてどうしたらいいのかな? と考えていたんです。

2023年に刊行された宮田氏による2冊の著書。

その結果として、フィールドを教育に変換したということですか?

いや今度はまたぜんぜん関係のないベンチャー企業に転職します。そこは社長と僕だけの会社。オフィスもマンションの一室でした。でもその社長がすごい人で、情熱や知識、働き方が常軌を逸しているというか。大企業にはない“社会人としての本気”を見せられた感じでしたね。ただ、すごく尊敬できる人でしたが、そこまで思いを持って働けないと思って。

なるほど。それでその会社も辞めたと。

はい。じゃあ自分も同じように大きな熱意を持てる仕事はなんだろうと考えた結果、中学時代の初志に立ち戻り、学校教育に関わろうと思い、突然独立をしました。さらに大学院も通い始めます。

そういう経緯があったんですね。大学院ではどんな研究を?

日本の学校教育を取りまく環境・状況の構造的な変化と、オルタナティブスクールでしたね。

オルタナティブスクールっていうのは、日本だと具体的にはどういった学校ですか?

きのくに子どもの村学園や、ラーンネット・グローバルスクール、サドベリースクール、シュタイナー学園など、いろいろありました。もともと僕は最初に勤めた会社にいた時から、組織のあり方に強い疑問を抱いていたし、世の中に対する違和感もありました、またこれから社会がどのように変化を遂げていくかにも興味を持っていたと思います。だからまずは教育に加えて、その辺りの考察から始めました。論文のアウトラインをざっくりと話すと、これまでは工業化社会で、機械の時代があったと。しかしこれからは人の時代であり、学校組織や先生のあり方も変わってくるはずなので、その辺りを研究していましたね。

教育だけでなく、それをとりまく社会までを対象としていたってことですね。

「オルタナティブ」という観点でも共感する部分が大きい2人。

調査を続けていくと、経営がうまくいっている学校やオルタナティブスクールは、どこも“学習する組織”だったことが分かります。さらに世の中的にオルタナティブスクールっていうのは、“教育方法におけるオルタナティブ”だと思われがちですが、そうではなくて、“組織としてのオルタナティブ性”も持っているのではないかという仮説を立てて、それが故にとても親和性が高いという結論づけだったと思います。

それは同感です。僕もラーンネット・グローバルスクールには何度も言って研修も受けましたが、もちろん先生たちが教員免許を持っていなかったり、文科省の定めたカリキュラムじゃなかったり、そういう教育的な違いもありますけど、それよりもまず、組織の構造自体が違いますよね。

はい。そこはかなり本質だと思います。

そもそもオルタナティブスクールを運用しようと思ったら、「何が本当にいいものなのか」を考える必要があって、一般的な学校にある価値観から離れなければなりません。その“離れる”という行為が重要で、かつ非常に難しい。僕のように学校の中にいると、余計にそう感じます。

中にいながら完全に離れ切るというのは不可能でしょうね。その点、僕の場合は、小さな頃からコミュニティと一定の距離を持ってきたというか、例えば高校の時には、僕のように父親が中卒でトラック運転手みたいな人は少なくて、もっと恵まれた人が多かった。逆に地元の中学では同じような生活レベルの人もいたんですけど、僕はそれよりはちょっとインテリな感じで。最初に入った会社でも特有の企業文化に溶け込めなくて。

常にちょっと斜め上から俯瞰する感じだったってことですね。

そうなんです。そんな視点で、論文を書いていく過程の中で、時代に合った“Community of Practice”があった方がいいなと感じ、そこから当時すでに『未来の先生フォーラム』という発想は浮かんでいたんです。だからその時の研究が今につながっていますね。

世の中のすべての人が
教育に関心を持つことが
人生の楽しさにつながる

後編はこちら

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