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困っていても、サポートはグッと我慢。
そうすれば、自分で考え、自分で伝えられる。
私は追手門に赴任して現在8年目。授業での体育とサッカー部の顧問、そして昨年度から探究の授業も一部担当しています。私が日々の学校生活の中で感じているのは、子どもたちが潜在的に持っている力の大きさです。彼ら・彼女たちは大人や教師が思う以上に考える力や決断する力、前に進める力を秘めています。だから「知識を伝える」だけでなく「子どもを信じる」ことこそが教育の出発点であるというのが、現場で過ごす中で私の中で芽生えた考え方です。
例えば授業をしていると、自分の考えを言葉にできずにいる生徒の姿をよく目にします。何か感じている様子はあるものの、うまく表現できず発言のタイミングを逃してしまう。探究での取り組みでもよくある光景です。周囲から見れば教師が導いてあげる状況に見えるかもしれませんが、私はそこで答えを補ったり、考えを整理するサポートしたりするのをグッと我慢して、見守るようにしています。そうすると多くの場合、少しずつ自分の言葉で話せるようになるもの。もちろん劇的な変化を見せるわけではないですが、「自分で考えて、自分で伝えた」という経験がそれぞれの中に残っていくと確信しています。適切な環境さえあれば、生徒たちは自分の力で伸びていく。その前提に立てるかどうかが、教育の質を大きく左右するのではないでしょうか。
ただし「任せる」というのは決して楽な選択ではありません。すぐに不安に駆られるし、結果も簡単には出ない。そのままだと状況が好転しないことだって少なくありません。それでもなお生徒たちの力を信じて待つことができるか。そこは教師としての覚悟が問われる場面とすら言えるでしょう。大人が先回りして整えれば短期的にはうまくいくに決まっています。しかしそれは生徒たちが自分で選び、自分で責任を持つ機会を奪ってしまう行為。子どもを信じて見守るというのは、単に放任することではありません。必要な時に適切な距離で関わりながら、最終的には生徒自身に委ねる。そのバランスをとり続けることが私たち教師に求められている役割だと考えています。

生徒たちの力を信じて
待つことができるか。
教師としての覚悟が問われる
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ひとつの正解や大人の期待を
手放すところからすべては始まる。
私たち教師という存在は、場合によっては「正しい方向へと導く人」として捉えられがちです。しかし私は生徒の前に立って引っ張るというより、横に並んで支える存在でありたいと考えています。生徒たちは一人ひとり異なる背景や価値観を持っていて、成長のスピードも大きく異なります。その多様性を前提に考えると、ひとつの“正しさ”を当てはめるなんて限界があって当然。むしろ生徒一人ひとりが持つ「どうありたいか」を尊重し、その方向に進むための支えになることの方が重要だと思います。そのために必要なのは、教師や学校の都合で生まれる「こうあってほしい」という期待を一度手放すこと。大人の理想を押し付けることなく、一人ひとりの生徒の内側から出てくるものを見つめ、またそれが出てくる環境とプロセスを整える。それこそが毎日の授業でも、探究での取り組みでも一貫して大切にしている姿勢ですね。
生徒たちと向き合う中で、もっとも教師としての醍醐味を感じるのは、子どもたちが自分の意思で一歩を踏み出す瞬間に立ち会えた時です。誰かに言われたからではなく、自分で考え、自分で決意し、自分で選びとる。その変化を見れるのは、この仕事ならではの喜びです。そこに至るまでの過程には必ず迷いや葛藤があり、すべてが順調に進むことはありません。それでも自分で決めた道を歩こうとする経験の積み重ねが大きな意味を持ちます。それが形となって現れるのは高校を卒業した後かもしれないし、もしかしたらもっともっと先かもしれない。でもそれで問題ないと私は考えています。教師の役割は生徒たちに答えを与えることや、生徒たちを答えへと導くことではなく、ともに問いを見つめ、生徒たちが自分の答えに辿り着くまで信じて見守ること。その先に本当の意味での子供たちの成長が待っていると思っています。

教師や学校の都合で生まれる
「こうあってほしい」という
期待を一度手放すことが必要。