校長ブログ

校長 木内 淳詞 Junji Kiuchi

2020.05.18

高1初登校、学院歌

 今日は、高1の生徒にとって、初めての登校の日でした。入学式を開催できていませんでしたので、けじめの意味でも、私から「入学許可」を宣言し、メッセージを放送で伝えました。16日の土曜日にも、中1の生徒にお話ししましたが、後半の部分を変えただけですので、今日のブログにメッセージを掲載しておきます。

 現在の追手門学院は、1888年に、大阪偕行社附属小学校としてスタートし、今ではこども園から大学院までを抱える、総合学園となっています。1950年に大阪市内の大手前の地に、追手門学院高等部を設置しました。その後、移転や名称変更をしてきましたが、今は、追手門学院中・高等学校という名称で一体となっており、この2020年は茨木と大手前の両方の中・高等学校の創立70周年と位置付けています。「おうてもん」は、お城の正門のことで、大阪城の正門の近くにある学校という意味であることも覚えておいてください。

 詳しい話は入学後にするとして、今日はこの後に皆さんに聴いてもらう、学院歌についてお話しします。
 追手門学院のスタートは先ほどお話ししましたように大阪偕行社附属小学校であり、創設者は、陸軍大臣を務められた高島鞆之助先生です。偕行社というのは陸軍の社交クラブです。戦後、軍人・軍隊色を一掃するということで、名称も何度か変わり、最終的には追手門学院という名前にして再スタートをしたわけです。私たちの中・高も戦後生まれですので、戦後の民主主義の考え方のもとに学校をスタートさせました。そして、その象徴となるものが、学院歌です。普通は、校歌と言いますが、追手門学院内の各学校の校歌は一つですので、学院歌と言っています。
 作詞は、追手門学院初代学院長の八束周吉先生です。一番の歌詞は、民主主義のもと、新しい国を作っていきましょうというメッセージが、そして二番には文化的な国家を、三番には平和国家を築いていきましょう、というメッセージが込められています。八束先生は、戦前に行われていた教育を全否定されているわけではありませんが、民主主義の制度の下で、人格の完成を目指していく教育を大切にされていました。八束先生の「中正道の教育」という考えを象徴するモニュメントを校舎の1階部分に設置しています。今後、皆さんにお話しする機会を持ちたいと思います。

 民主主義という制度・考え方は、絶対的に良いものであるとは言えませんが、今のところ、世界の中の比較的多くの国で採用されている制度で、他の制度と比べると、「よりまし」な制度であると考える人が多いのが現状です。なぜならば、民主主義の制度は、私たちが大切で1回限りの人生を生きたいように生きていくという「自由」をある程度保障する制度であるからです。しかしながら、民主主義の制度を維持するには、それなりのコストもかかります。何かを決めるのに時間がかかります。しかし、それは少数意見も大切にし、決定する際にその少数意見の観点も考えに入れながら決定するからです。ですから、単純に多数の者の意見のみによって、色々なことが決められていくことが民主主義の考え方ではありません。また、自分がどんな人として、どんな仕事について生活していくかということを、私たちは自分で選択していくことが可能です。しかし、何をしてもいいよ、と言われると、私たちは困ってしまうこともあります。誰かが決めてくれたほうが楽でいいかもしれません。でも、それでは自分が生きたいように生きる自由を放棄することになります。さらに、自分の自由を認めてもらうためには、周りの人の自由も認めねばなりません。「今さえよければそれでいい、自分さえよければそれでいい」という考え方も、自由なのかもしれません。しかし、そういう自由は、長い目で見れば、自分が生きたいように生きる自由を制限してしまうことに、皆さんならすぐに気づくことでしょう。民主主義社会で生きていくには、考える力が必要です。だから、皆さんは、これからまだまだ学んでいかねばならないのです。

 入学式がこんな形に変わってしまって、申し訳なく思っています。ただ、今日のこの日を、皆さんが、今後どのように生きていくかを考える一つの大切なステップであると位置づけてくださるなら、追手門学院高等学校としては、大変うれしく思います。
 改めまして、ご入学おめでとうございます。今日、この場にいらっしゃらない保護者の皆さまにも、私の言葉をお伝えくださると幸いです。

 ブログの中に出てくる学院歌は下のリンクからお聴きいただけます。