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今につながる“できない”記憶。
自分を信じて考え続ける力を。
私は小学生の頃、算数がとても苦手でした。だから「分からない」「解けない」という気持ちを今でもよく覚えていて、それ自体を否定したくはありません。当時の私は公文に通い出したことで、少しずつ解ける問題が増えていく中で、「できるかもしれない」という感覚が芽生えました。その小さな成功体験の積み重ねが、数学を好きになるきっかけだったように思います。
数学には必ず答えがあります。でもその答えにたどり着くまでの過程は一人ひとり違っていて、教科書通りに効率よく解く子もいれば、何度も回り道をしながら試行錯誤をしている子もいます。もともと私は、効率よく解いていくことを重視していました。しかし生徒たちの様子を見ていると「そんなやり方で解いていくのか!」と驚かされてばかり。そして遠回りしているように見えても、自分の力で考え抜けば、その経験は確かに残っていきます。だから時間に余裕のあるうちは、間違ってもいいから最後まで解き切ることを大切にしていますね。
もちろん「できないから」と途中で考えることをやめてしまうケースも少なくありません。でも彼ら・彼女たちが歩んでいくこれからの人生では、答えがすぐに見つからない場面もたくさん出てきます。だからこそ簡単に諦めず「このままやれば、辿り着けるかもしれない」と信じて考え続ける力を育んでほしい。そしてその粘り強さを、これから先を生きる上の大切な力にしてほしい。そんな風に思っています。

遠回りしているようでも
自分の力で考え抜けば、
その経験は残っていく
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不安の中で出会えた表情たち。
生徒が一歩を踏み出す支えになる。
探究の授業に関わるようになって、私の教育観は少し変わりました。数学を教えている時は、最終的には正しい解き方を伝えるという役割があります。しかし探究では答えを教えることだけが正しい向き合い方ではありません。常に意識しているのは、少し危なっかしく感じても、失敗しそうに見えても、いったん見守ること。そして教師に頼らず生徒自身が考え、自分なりの答えにたどり着く時間を用意すること。その大切さを実感するようになりました。
正直に言えば、探究を担当すると決まった時は、まだ数学教師としての経験も浅い中で、新しいことに挑戦していいのだろうかという不安もありました。しかし実際に授業に入ってみると、普段の授業では見せることのない生徒の表情にたくさん出会います。友達と笑いながらアイデアを出し合う姿、夢中になってものづくりに取り組む姿。そんな様子を見るうちに、これに携われて良かったと感じ、また「教える」と「見守る」は対立するものではなく、どちらも教師に必要な役割なのだと感じるようになりました。
すべての生徒が数学を好きになる必要などありません。数学が苦手なままでも人生は十分歩んでいけると思っています。ただ解けないからやめるのではなく、とりあえずやってみる姿勢が身に付けば、きっと将来どんな道に進んでも役に立つ経験になるはずです。だから私が願っているのは、数学が苦手な生徒でも「この先生なら少し話してみようかな」と感じてもらえるような存在でありたいということです。分からない時には一緒に立ち止まり、一緒に考え方を整理する。その結果として自分の力で一歩を踏み出す。そのきっかけになれたら嬉しいですね。

とりあえずやってみる姿勢が
将来どんな道に進んでも
役に立つ経験になるはず