校長ブログ

校長 木内 淳詞 Junji Kiuchi

2020.06.13

梅雨入りと通常授業のスタート

 何回も使いまわしをしている写真で申し訳ありません。2年前に撮影した宇治の三室戸寺のハート形紫陽花の写真です。
 近畿圏も、「6月10日頃」梅雨に入った模様です。昔は、「梅雨入り宣言」が出されましたが、最近はこういう形でぼやかした表現にするのですね。思い出してみれば、宣言が出された後に、ものすごく天気の良い日が続いて、「これが梅雨かいな?」と言われることも多かったように思いますので、仕方がないのかもしれません。
 実は、私は6月生まれなのですが、1年で一番嫌いな月です。いや、そういうことを言ってしまうのがよくないのかも、というのが今日のテーマですのに、ダメですね。
 私は晴れの日が好きで、暑さには比較的強いほうだと思います。暑い季節になっても、食欲は落ちませんし、むしろ寒い季節よりは体調もいいように思います。一方で、低気圧が近づいてくると、少し気分が滅入ってきて、雨が降り続くと、体調も良くない感じがします。ある年、夏休みの旅行に出かけたときに、初日から雨が降り続き、外を出歩けないので、カフェで珈琲を飲みながら、ぼんやりと窓から雨に濡れる庭の景色を眺めておりました。その時にふと思い出したのが、同級生の言葉でした。私が雨が嫌いだと言うと、その人は、「でも、雨が降ると、空気がきれいになる感じがしていいじゃない」と返しました。なるほど、と私は妙に納得して、それまでとは違った目で雨の日の周りの様子を眺めるようになりました。
 そもそも、雨が降っているという事実はあるけれども、その事実に対して、「いやだなあ」とか「鬱陶しいなあ」とか「雨だと~ができない」とか、ネガティブな感情や意味を貼り付けるのは、私たち、いや、この「私」なのですね。雨が絶対的に悪いものであるわけではありません。人によっては、雨が好きな人もいますし、私とは逆に晴れの日が憂鬱だと感じる人もいます。雨が多い6月だけれども、6月になればこのような紫陽花の花を見ることができます。雨のしずくが紫陽花の花びらや葉について、太陽が姿を現したときにその雨のしずくがキラキラと輝いている様子を見ると、今の私は、心躍るような気分になります。雨が嫌いという気持ちはなかなか変えにくいのですが、雨が降っているという事実に対して、ネガティブな気持ちばかりをペタペタと貼り付けることをやめたのです。
 人間は、意味を求めてしまう生き物です。それゆえに他の動物とは違って、物語を作ってそれを語り、書物にします。その行為はとても大切な人間らしいものなのですが、一方で、その意味に縛られすぎて、苦しくなってしまう面もあります。3月以降の、今までにない状況下での生活があり、今度は5月の下旬からは試運転的な登校の機会があり、6月からは授業が少しだけ始まり、15日からは通常運転、と、どんどん生活のリズムを変えていかねばならないこの時期、実は私たち大人もしんどいのです。15日から通常運転ということを考えただけでしんどくなっている人もいるでしょう。その時に、事実に対して否定的な感情だけを貼り付けないようにすることで、私のように少し楽になる人もいるでしょうが、一方でそう簡単にはいかない人もいるでしょう。学校の通常運転が始まる際に、今の状況下では、「我慢」することは美徳ではありません。しんどい時は、しんどいと言ってください。1400人以上の生徒を抱える本校です。すべての生徒が全員そろって同じペースで走り出す必要はありません。ぼちぼちいきましょう。